日本酒・焼酎

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菊水酒造 鳴門金時 25° 1.8L 芋焼酎

菊水酒造 鳴門金時 25° 1.8L 芋焼酎

¥2,508 JPY
文化元年(1804)二代目松浦直蔵由往により創業されました。明治19年(1886)時の県令、酒井明氏と五代目松浦九平により、魚族の王、鯛の如く端麗優雅であるように特に鳴門海峡に産する鯛は激流を遡り肉質が締まり脂が乗って美味であることから『鳴門鯛』と命名されました。 山廃系酒母を多く使用し、200年余りの伝統のある造りを守り続けています。平均精米歩合は59%、品質本位の酒造りに精魂を傾けています。吟醸、純米、本醸造など、特定名称酒の比率は生成する清酒の内の9割を超えています。清酒のほか、すだち酒や鳴門金時芋焼酎、リキュールなども製造・販売しています。 商品の原材料に含まれる米はすべて国産、米麹はすべて国産米を使用しております。 (画像は720ml) 徳島県鳴門市の砂地で丹念に作った鳴門金時のみを使用しています。砂地で太陽をいっぱいに浴びて育った金時は甘く、蒸したときの香ばしさは他の芋にはない特徴で、蒸留後もほのかに漂っています。芋焼酎ファンには、ぜひ一度お試しいただきたい一本です。 原材料 鳴門金時(さつまいも)、米麹(国産米) 度数 25度 容量 720ml・1.8L
菊水酒造 鳴門金時 25° 720ml 芋焼酎

菊水酒造 鳴門金時 25° 720ml 芋焼酎

¥1,298 JPY
文化元年(1804)二代目松浦直蔵由往により創業されました。明治19年(1886)時の県令、酒井明氏と五代目松浦九平により、魚族の王、鯛の如く端麗優雅であるように特に鳴門海峡に産する鯛は激流を遡り肉質が締まり脂が乗って美味であることから『鳴門鯛』と命名されました。 山廃系酒母を多く使用し、200年余りの伝統のある造りを守り続けています。平均精米歩合は59%、品質本位の酒造りに精魂を傾けています。吟醸、純米、本醸造など、特定名称酒の比率は生成する清酒の内の9割を超えています。清酒のほか、すだち酒や鳴門金時芋焼酎、リキュールなども製造・販売しています。 商品の原材料に含まれる米はすべて国産、米麹はすべて国産米を使用しております。 (画像は720ml) 徳島県鳴門市の砂地で丹念に作った鳴門金時のみを使用しています。砂地で太陽をいっぱいに浴びて育った金時は甘く、蒸したときの香ばしさは他の芋にはない特徴で、蒸留後もほのかに漂っています。芋焼酎ファンには、ぜひ一度お試しいただきたい一本です。 原材料 鳴門金時(さつまいも)、米麹(国産米) 度数 25度 容量 720ml・1.8L
薩摩酒造 伝承白波 25度 720ml 芋焼酎

薩摩酒造 伝承白波 25度 720ml 芋焼酎

¥1,023 JPY
薩摩酒造 焼酎のふるさと 南薩摩 薩摩半島は大隅半島とともに、鹿児島県を二分する半島です。南薩摩はその半島の文字通り南の地域です。東は錦江湾に、西は東シナ海に面しています。地図を見て下さい。錦江湾の方から見た南薩摩地方は鹿児島の「鹿」にあやかるわけではありませんが、鹿の横顔に似てると思いませんか。鼻が開聞岳、口が指宿、鼻の穴が池田湖、そして目が枕崎や坊津、角が野間岬で耳の付け根が加世田でしょうか。 半島の東西には開聞岳と野間岳がそびえています。なかでも海辺からすっくと立ちあがった開聞岳は薩摩富士とも呼ばれ、多くの人々の信仰や敬愛の対象となってきました。 古くから栄えた 南薩摩 南薩摩は焼酎のふるさとだけでなく、日本の神話や古代文化が息づいていたふるさとでもあります。「日本書紀」や「古事記」に登場する笠沙宮や阿多隼人、また鑑真和尚がたどりついた坊津。坊津は後に遣唐使や南海貿易の拠点として、那の津(博多)や安濃津(伊勢)とともに日本三津の港とも呼ばれていました。ただ、薩摩半島の大半はシラス台地です。今では広大なサツマイモ畑や茶畑が広がっていますが、この美しい緑の大地の下には開墾や畑地灌漑など多くの人々の永年の血と汗と涙が脈うっているといってもいいでしょう。 乏しさが生む豊かな匠と銘水 枕崎から笠沙地方にかけては、断崖の入り組んだリアス式海岸です。しかし、時として田畑の乏しさは、豊かな技能集団を育てるものです。明治期、薩摩で焼酎造りがさかんになるとともに、笠沙の黒瀬杜氏の男衆は、杜氏として各地の蔵元に出向きました。これが後に阿多杜氏とともに黒瀬杜氏と呼ばれる技能集団の系譜を作ったのです。収穫の秋が近づくころ家を出て、半年ほど焼酎を造って、春わがやに帰る。黒瀬杜氏たちは、まさに腕一本でこの世を渡るマエストロたちです。さらにシラス台地は、保水性はありませんが、地下には滋味ある水を湛えています。薩摩大隅が今日、銘水のふるさととも言われるのもその証しでしょう。枕崎の白沢地区にも、神の河と呼ばれる湧水川があります。このように、南薩摩の土の恵み、人の匠、そして水の恵みがあいまって、本格焼酎のふるさとと呼ばれるような地域を作りあげてきたのです。 焼酎の造り方 焼酎は原材料となるサツマイモや麦など、そして麹と酵母と水から造られます。それを図示してみました。まず、良質なサツマイモなどの原材料が大切です。次に、「焼酎造りは麹造りから」という言葉もあるように、麹造りがカギを握ります。麹は二昼夜寝かされます。麹の機嫌をとりながらうまく寝かせるのがコツです。それに水と酵母を加えて仕込むのを一次仕込みといいます。そして約1週間後、今度は蒸して砕いたサツマイモなどの原材料を入れます。これが二次仕込みです。麹ももろみも活きています。ぷくぷくぶつぶつ、杜氏や倉子たちはほとんど不寝の番で、甕をのぞいたり櫂棒で混ぜたり、まさにもろみたちをなだめたりすかしたりという感じです。こうして約10日間醗酵された焼酎もろみを、いよいよ蒸溜してゆくのです。 焼酎の歴史 焼酎のルーツ/ 薩摩の焼酎が文献に登場するのは16世紀です。1546年、薩摩半島の山川に半年間程、ポルトガル人の船長のジョルジェ・アルバレスという人が滞在しました。彼は後に伝道のため来日するフランシスコ・ザビエルのため、『日本報告』を認めています。その中に、「飲み物として、米からつくるオラーカ」があると記されています。「オラーカ」とは、蒸溜酒のことです。 サツマイモの伝来/ サツマイモは中南米の原産で、フィリピンから中国、琉球を経て日本に伝わったと言われています。薩摩では、サツマイモはカライモと呼ばれてきました。カラは唐天竺のカラ。海のかなたからの到来物のイモと言うことです。逆に奄美の喜界島では、ハンスーと言ったりします。これは蕃薯(バンショ)が、ハンスーと訛ったものです。種子島では、17世紀末に領主種子島久基が島内に広めさせています。薩摩に伝わったのは1705年、山川の漁師利右衛門が、琉球からサツマイモを持ちかえりました。 利右衛門は甘藷翁と呼ばれ、「玉蔓大御食持命保食神(タマカズラオオミケモチノミコト)」となって同地の徳光神社に祭られています。なお後に甘藷先生と呼ばれた青木昆陽が『蕃薯考』を著したのは1735年のことです。 焼酎の知識 焼酎の甲類と乙類の違い/ 焼酎には甲類、乙類、そして甲乙混和があります。明治期、鹿児島には3000を越える蔵元がありました。大半が地区や郷相手の小さな蔵元でした。また大正期から終戦後にかけては、通常焼酎といえば、カストリ(酒の絞り粕にモミガラを加えて蒸籠で蒸したりして作った粗悪なもの)や甲類焼酎のことでした。甲類は、明治末期に輸入された連続式蒸溜機から作られるエチルアルコールをベースにしたもので、工業化された製法は大量生産にふさわしいものでした。これに対して、薩摩や大隅、壱岐などの単式蒸溜機によるものが乙類でした。機械的に蒸溜を繰りかえして作られた純度の高い甲類に対し、乙類にはもろみや原料の特有性分が存分に含まれています。そこに蔵の差異や杜氏たちの腕の見せどころも生まれるのです。 本格焼酎の名は1971年生まれ/ 本格焼酎という名が生まれたのは、1971年のことでした。戦前日本では、学業の評価が甲乙丙丁戊で行なわれたり、入隊時の兵隊のランク付けにも甲乙丙が使われていました。するといかにも乙が甲に劣っているような印象を与えるため、登場したのが本格焼酎という命名でした。薩摩酒造が目指して来たし、これから目指してゆくのも丹精こめた手造り感に満ちた本格焼酎です。 焼酎の名前の色や命名/ 本格焼酎にはリキュールと違って、着色を促すような格別のものは使われてはいません。(焼酎の旨味成分が「焼酎の華」として浮いていたり、樫樽等の色が溶けこんでいることもありますが)それでも「黒白波」「赤薩摩」といった名称があるのはどうしてでしょう。それは用いられている麹で、白や黒や黄などの言葉が冠せられている時もあります。また原材料のサツマイモの品種によって、黄金や紫や紅や茜のついた名前がつけられる時もあります。名前は力士や人の名前でも同じですが、多くは瑞称といっておめでたい字が添えられます。「優・秀・誉・盛・錦・美」などがそうです。また山や川や海や地名などが付けられるのは、それらは不動にして揺るぐことのない強い言葉だからです。焼酎の名前からも、焼酎のふるさとが垣間見えるのも楽しいことです。 さつま白波の伝統製法に伝承の技を結集させた商品。コクがあってまろやかな味わいはお湯割りでもロックでもおすすめです。 原材料 さつまいも、米麹 度数 25度...
薩摩酒造 枕崎 かめ壷仕込 芋 25度 1.8L 芋焼酎

薩摩酒造 枕崎 かめ壷仕込 芋 25度 1.8L 芋焼酎

¥2,860 JPY
薩摩酒造 焼酎のふるさと 南薩摩 薩摩半島は大隅半島とともに、鹿児島県を二分する半島です。南薩摩はその半島の文字通り南の地域です。東は錦江湾に、西は東シナ海に面しています。地図を見て下さい。錦江湾の方から見た南薩摩地方は鹿児島の「鹿」にあやかるわけではありませんが、鹿の横顔に似てると思いませんか。鼻が開聞岳、口が指宿、鼻の穴が池田湖、そして目が枕崎や坊津、角が野間岬で耳の付け根が加世田でしょうか。 半島の東西には開聞岳と野間岳がそびえています。なかでも海辺からすっくと立ちあがった開聞岳は薩摩富士とも呼ばれ、多くの人々の信仰や敬愛の対象となってきました。 古くから栄えた 南薩摩 南薩摩は焼酎のふるさとだけでなく、日本の神話や古代文化が息づいていたふるさとでもあります。「日本書紀」や「古事記」に登場する笠沙宮や阿多隼人、また鑑真和尚がたどりついた坊津。坊津は後に遣唐使や南海貿易の拠点として、那の津(博多)や安濃津(伊勢)とともに日本三津の港とも呼ばれていました。ただ、薩摩半島の大半はシラス台地です。今では広大なサツマイモ畑や茶畑が広がっていますが、この美しい緑の大地の下には開墾や畑地灌漑など多くの人々の永年の血と汗と涙が脈うっているといってもいいでしょう。 乏しさが生む豊かな匠と銘水 枕崎から笠沙地方にかけては、断崖の入り組んだリアス式海岸です。しかし、時として田畑の乏しさは、豊かな技能集団を育てるものです。明治期、薩摩で焼酎造りがさかんになるとともに、笠沙の黒瀬杜氏の男衆は、杜氏として各地の蔵元に出向きました。これが後に阿多杜氏とともに黒瀬杜氏と呼ばれる技能集団の系譜を作ったのです。収穫の秋が近づくころ家を出て、半年ほど焼酎を造って、春わがやに帰る。黒瀬杜氏たちは、まさに腕一本でこの世を渡るマエストロたちです。さらにシラス台地は、保水性はありませんが、地下には滋味ある水を湛えています。薩摩大隅が今日、銘水のふるさととも言われるのもその証しでしょう。枕崎の白沢地区にも、神の河と呼ばれる湧水川があります。このように、南薩摩の土の恵み、人の匠、そして水の恵みがあいまって、本格焼酎のふるさとと呼ばれるような地域を作りあげてきたのです。 焼酎の造り方 焼酎は原材料となるサツマイモや麦など、そして麹と酵母と水から造られます。それを図示してみました。まず、良質なサツマイモなどの原材料が大切です。次に、「焼酎造りは麹造りから」という言葉もあるように、麹造りがカギを握ります。麹は二昼夜寝かされます。麹の機嫌をとりながらうまく寝かせるのがコツです。それに水と酵母を加えて仕込むのを一次仕込みといいます。そして約1週間後、今度は蒸して砕いたサツマイモなどの原材料を入れます。これが二次仕込みです。麹ももろみも活きています。ぷくぷくぶつぶつ、杜氏や倉子たちはほとんど不寝の番で、甕をのぞいたり櫂棒で混ぜたり、まさにもろみたちをなだめたりすかしたりという感じです。こうして約10日間醗酵された焼酎もろみを、いよいよ蒸溜してゆくのです。 焼酎の歴史 焼酎のルーツ/ 薩摩の焼酎が文献に登場するのは16世紀です。1546年、薩摩半島の山川に半年間程、ポルトガル人の船長のジョルジェ・アルバレスという人が滞在しました。彼は後に伝道のため来日するフランシスコ・ザビエルのため、『日本報告』を認めています。その中に、「飲み物として、米からつくるオラーカ」があると記されています。「オラーカ」とは、蒸溜酒のことです。 サツマイモの伝来/ サツマイモは中南米の原産で、フィリピンから中国、琉球を経て日本に伝わったと言われています。薩摩では、サツマイモはカライモと呼ばれてきました。カラは唐天竺のカラ。海のかなたからの到来物のイモと言うことです。逆に奄美の喜界島では、ハンスーと言ったりします。これは蕃薯(バンショ)が、ハンスーと訛ったものです。種子島では、17世紀末に領主種子島久基が島内に広めさせています。薩摩に伝わったのは1705年、山川の漁師利右衛門が、琉球からサツマイモを持ちかえりました。 利右衛門は甘藷翁と呼ばれ、「玉蔓大御食持命保食神(タマカズラオオミケモチノミコト)」となって同地の徳光神社に祭られています。なお後に甘藷先生と呼ばれた青木昆陽が『蕃薯考』を著したのは1735年のことです。 焼酎の知識 焼酎の甲類と乙類の違い/ 焼酎には甲類、乙類、そして甲乙混和があります。明治期、鹿児島には3000を越える蔵元がありました。大半が地区や郷相手の小さな蔵元でした。また大正期から終戦後にかけては、通常焼酎といえば、カストリ(酒の絞り粕にモミガラを加えて蒸籠で蒸したりして作った粗悪なもの)や甲類焼酎のことでした。甲類は、明治末期に輸入された連続式蒸溜機から作られるエチルアルコールをベースにしたもので、工業化された製法は大量生産にふさわしいものでした。これに対して、薩摩や大隅、壱岐などの単式蒸溜機によるものが乙類でした。機械的に蒸溜を繰りかえして作られた純度の高い甲類に対し、乙類にはもろみや原料の特有性分が存分に含まれています。そこに蔵の差異や杜氏たちの腕の見せどころも生まれるのです。 本格焼酎の名は1971年生まれ/ 本格焼酎という名が生まれたのは、1971年のことでした。戦前日本では、学業の評価が甲乙丙丁戊で行なわれたり、入隊時の兵隊のランク付けにも甲乙丙が使われていました。するといかにも乙が甲に劣っているような印象を与えるため、登場したのが本格焼酎という命名でした。薩摩酒造が目指して来たし、これから目指してゆくのも丹精こめた手造り感に満ちた本格焼酎です。 焼酎の名前の色や命名/ 本格焼酎にはリキュールと違って、着色を促すような格別のものは使われてはいません。(焼酎の旨味成分が「焼酎の華」として浮いていたり、樫樽等の色が溶けこんでいることもありますが)それでも「黒白波」「赤薩摩」といった名称があるのはどうしてでしょう。それは用いられている麹で、白や黒や黄などの言葉が冠せられている時もあります。また原材料のサツマイモの品種によって、黄金や紫や紅や茜のついた名前がつけられる時もあります。名前は力士や人の名前でも同じですが、多くは瑞称といっておめでたい字が添えられます。「優・秀・誉・盛・錦・美」などがそうです。また山や川や海や地名などが付けられるのは、それらは不動にして揺るぐことのない強い言葉だからです。焼酎の名前からも、焼酎のふるさとが垣間見えるのも楽しいことです。
薩摩酒造 琥珀の夢 麦 25度 1.8L 麦焼酎

薩摩酒造 琥珀の夢 麦 25度 1.8L 麦焼酎

¥1,969 JPY
薩摩酒造 焼酎のふるさと 南薩摩 薩摩半島は大隅半島とともに、鹿児島県を二分する半島です。南薩摩はその半島の文字通り南の地域です。東は錦江湾に、西は東シナ海に面しています。地図を見て下さい。錦江湾の方から見た南薩摩地方は鹿児島の「鹿」にあやかるわけではありませんが、鹿の横顔に似てると思いませんか。鼻が開聞岳、口が指宿、鼻の穴が池田湖、そして目が枕崎や坊津、角が野間岬で耳の付け根が加世田でしょうか。 半島の東西には開聞岳と野間岳がそびえています。なかでも海辺からすっくと立ちあがった開聞岳は薩摩富士とも呼ばれ、多くの人々の信仰や敬愛の対象となってきました。 古くから栄えた 南薩摩 南薩摩は焼酎のふるさとだけでなく、日本の神話や古代文化が息づいていたふるさとでもあります。「日本書紀」や「古事記」に登場する笠沙宮や阿多隼人、また鑑真和尚がたどりついた坊津。坊津は後に遣唐使や南海貿易の拠点として、那の津(博多)や安濃津(伊勢)とともに日本三津の港とも呼ばれていました。ただ、薩摩半島の大半はシラス台地です。今では広大なサツマイモ畑や茶畑が広がっていますが、この美しい緑の大地の下には開墾や畑地灌漑など多くの人々の永年の血と汗と涙が脈うっているといってもいいでしょう。 乏しさが生む豊かな匠と銘水 枕崎から笠沙地方にかけては、断崖の入り組んだリアス式海岸です。しかし、時として田畑の乏しさは、豊かな技能集団を育てるものです。明治期、薩摩で焼酎造りがさかんになるとともに、笠沙の黒瀬杜氏の男衆は、杜氏として各地の蔵元に出向きました。これが後に阿多杜氏とともに黒瀬杜氏と呼ばれる技能集団の系譜を作ったのです。収穫の秋が近づくころ家を出て、半年ほど焼酎を造って、春わがやに帰る。黒瀬杜氏たちは、まさに腕一本でこの世を渡るマエストロたちです。さらにシラス台地は、保水性はありませんが、地下には滋味ある水を湛えています。薩摩大隅が今日、銘水のふるさととも言われるのもその証しでしょう。枕崎の白沢地区にも、神の河と呼ばれる湧水川があります。このように、南薩摩の土の恵み、人の匠、そして水の恵みがあいまって、本格焼酎のふるさとと呼ばれるような地域を作りあげてきたのです。 焼酎の造り方 焼酎は原材料となるサツマイモや麦など、そして麹と酵母と水から造られます。それを図示してみました。まず、良質なサツマイモなどの原材料が大切です。次に、「焼酎造りは麹造りから」という言葉もあるように、麹造りがカギを握ります。麹は二昼夜寝かされます。麹の機嫌をとりながらうまく寝かせるのがコツです。それに水と酵母を加えて仕込むのを一次仕込みといいます。そして約1週間後、今度は蒸して砕いたサツマイモなどの原材料を入れます。これが二次仕込みです。麹ももろみも活きています。ぷくぷくぶつぶつ、杜氏や倉子たちはほとんど不寝の番で、甕をのぞいたり櫂棒で混ぜたり、まさにもろみたちをなだめたりすかしたりという感じです。こうして約10日間醗酵された焼酎もろみを、いよいよ蒸溜してゆくのです。 焼酎の歴史 焼酎のルーツ/ 薩摩の焼酎が文献に登場するのは16世紀です。1546年、薩摩半島の山川に半年間程、ポルトガル人の船長のジョルジェ・アルバレスという人が滞在しました。彼は後に伝道のため来日するフランシスコ・ザビエルのため、『日本報告』を認めています。その中に、「飲み物として、米からつくるオラーカ」があると記されています。「オラーカ」とは、蒸溜酒のことです。 サツマイモの伝来/ サツマイモは中南米の原産で、フィリピンから中国、琉球を経て日本に伝わったと言われています。薩摩では、サツマイモはカライモと呼ばれてきました。カラは唐天竺のカラ。海のかなたからの到来物のイモと言うことです。逆に奄美の喜界島では、ハンスーと言ったりします。これは蕃薯(バンショ)が、ハンスーと訛ったものです。種子島では、17世紀末に領主種子島久基が島内に広めさせています。薩摩に伝わったのは1705年、山川の漁師利右衛門が、琉球からサツマイモを持ちかえりました。 利右衛門は甘藷翁と呼ばれ、「玉蔓大御食持命保食神(タマカズラオオミケモチノミコト)」となって同地の徳光神社に祭られています。なお後に甘藷先生と呼ばれた青木昆陽が『蕃薯考』を著したのは1735年のことです。 焼酎の知識 焼酎の甲類と乙類の違い/ 焼酎には甲類、乙類、そして甲乙混和があります。明治期、鹿児島には3000を越える蔵元がありました。大半が地区や郷相手の小さな蔵元でした。また大正期から終戦後にかけては、通常焼酎といえば、カストリ(酒の絞り粕にモミガラを加えて蒸籠で蒸したりして作った粗悪なもの)や甲類焼酎のことでした。甲類は、明治末期に輸入された連続式蒸溜機から作られるエチルアルコールをベースにしたもので、工業化された製法は大量生産にふさわしいものでした。これに対して、薩摩や大隅、壱岐などの単式蒸溜機によるものが乙類でした。機械的に蒸溜を繰りかえして作られた純度の高い甲類に対し、乙類にはもろみや原料の特有性分が存分に含まれています。そこに蔵の差異や杜氏たちの腕の見せどころも生まれるのです。 本格焼酎の名は1971年生まれ/ 本格焼酎という名が生まれたのは、1971年のことでした。戦前日本では、学業の評価が甲乙丙丁戊で行なわれたり、入隊時の兵隊のランク付けにも甲乙丙が使われていました。するといかにも乙が甲に劣っているような印象を与えるため、登場したのが本格焼酎という命名でした。薩摩酒造が目指して来たし、これから目指してゆくのも丹精こめた手造り感に満ちた本格焼酎です。 焼酎の名前の色や命名/ 本格焼酎にはリキュールと違って、着色を促すような格別のものは使われてはいません。(焼酎の旨味成分が「焼酎の華」として浮いていたり、樫樽等の色が溶けこんでいることもありますが)それでも「黒白波」「赤薩摩」といった名称があるのはどうしてでしょう。それは用いられている麹で、白や黒や黄などの言葉が冠せられている時もあります。また原材料のサツマイモの品種によって、黄金や紫や紅や茜のついた名前がつけられる時もあります。名前は力士や人の名前でも同じですが、多くは瑞称といっておめでたい字が添えられます。「優・秀・誉・盛・錦・美」などがそうです。また山や川や海や地名などが付けられるのは、それらは不動にして揺るぐことのない強い言葉だからです。焼酎の名前からも、焼酎のふるさとが垣間見えるのも楽しいことです。
薩摩酒造 白波 1.8L 25度 芋焼酎

薩摩酒造 白波 1.8L 25度 芋焼酎

¥1,738 JPY
薩摩酒造 焼酎のふるさと 南薩摩 薩摩半島は大隅半島とともに、鹿児島県を二分する半島です。南薩摩はその半島の文字通り南の地域です。東は錦江湾に、西は東シナ海に面しています。地図を見て下さい。錦江湾の方から見た南薩摩地方は鹿児島の「鹿」にあやかるわけではありませんが、鹿の横顔に似てると思いませんか。鼻が開聞岳、口が指宿、鼻の穴が池田湖、そして目が枕崎や坊津、角が野間岬で耳の付け根が加世田でしょうか。 半島の東西には開聞岳と野間岳がそびえています。なかでも海辺からすっくと立ちあがった開聞岳は薩摩富士とも呼ばれ、多くの人々の信仰や敬愛の対象となってきました。 古くから栄えた 南薩摩 南薩摩は焼酎のふるさとだけでなく、日本の神話や古代文化が息づいていたふるさとでもあります。「日本書紀」や「古事記」に登場する笠沙宮や阿多隼人、また鑑真和尚がたどりついた坊津。坊津は後に遣唐使や南海貿易の拠点として、那の津(博多)や安濃津(伊勢)とともに日本三津の港とも呼ばれていました。ただ、薩摩半島の大半はシラス台地です。今では広大なサツマイモ畑や茶畑が広がっていますが、この美しい緑の大地の下には開墾や畑地灌漑など多くの人々の永年の血と汗と涙が脈うっているといってもいいでしょう。 乏しさが生む豊かな匠と銘水 枕崎から笠沙地方にかけては、断崖の入り組んだリアス式海岸です。しかし、時として田畑の乏しさは、豊かな技能集団を育てるものです。明治期、薩摩で焼酎造りがさかんになるとともに、笠沙の黒瀬杜氏の男衆は、杜氏として各地の蔵元に出向きました。これが後に阿多杜氏とともに黒瀬杜氏と呼ばれる技能集団の系譜を作ったのです。収穫の秋が近づくころ家を出て、半年ほど焼酎を造って、春わがやに帰る。黒瀬杜氏たちは、まさに腕一本でこの世を渡るマエストロたちです。さらにシラス台地は、保水性はありませんが、地下には滋味ある水を湛えています。薩摩大隅が今日、銘水のふるさととも言われるのもその証しでしょう。枕崎の白沢地区にも、神の河と呼ばれる湧水川があります。このように、南薩摩の土の恵み、人の匠、そして水の恵みがあいまって、本格焼酎のふるさとと呼ばれるような地域を作りあげてきたのです。 焼酎の造り方 焼酎は原材料となるサツマイモや麦など、そして麹と酵母と水から造られます。それを図示してみました。まず、良質なサツマイモなどの原材料が大切です。次に、「焼酎造りは麹造りから」という言葉もあるように、麹造りがカギを握ります。麹は二昼夜寝かされます。麹の機嫌をとりながらうまく寝かせるのがコツです。それに水と酵母を加えて仕込むのを一次仕込みといいます。そして約1週間後、今度は蒸して砕いたサツマイモなどの原材料を入れます。これが二次仕込みです。麹ももろみも活きています。ぷくぷくぶつぶつ、杜氏や倉子たちはほとんど不寝の番で、甕をのぞいたり櫂棒で混ぜたり、まさにもろみたちをなだめたりすかしたりという感じです。こうして約10日間醗酵された焼酎もろみを、いよいよ蒸溜してゆくのです。 焼酎の歴史 焼酎のルーツ/ 薩摩の焼酎が文献に登場するのは16世紀です。1546年、薩摩半島の山川に半年間程、ポルトガル人の船長のジョルジェ・アルバレスという人が滞在しました。彼は後に伝道のため来日するフランシスコ・ザビエルのため、『日本報告』を認めています。その中に、「飲み物として、米からつくるオラーカ」があると記されています。「オラーカ」とは、蒸溜酒のことです。 サツマイモの伝来/ サツマイモは中南米の原産で、フィリピンから中国、琉球を経て日本に伝わったと言われています。薩摩では、サツマイモはカライモと呼ばれてきました。カラは唐天竺のカラ。海のかなたからの到来物のイモと言うことです。逆に奄美の喜界島では、ハンスーと言ったりします。これは蕃薯(バンショ)が、ハンスーと訛ったものです。種子島では、17世紀末に領主種子島久基が島内に広めさせています。薩摩に伝わったのは1705年、山川の漁師利右衛門が、琉球からサツマイモを持ちかえりました。 利右衛門は甘藷翁と呼ばれ、「玉蔓大御食持命保食神(タマカズラオオミケモチノミコト)」となって同地の徳光神社に祭られています。なお後に甘藷先生と呼ばれた青木昆陽が『蕃薯考』を著したのは1735年のことです。 焼酎の知識 焼酎の甲類と乙類の違い/ 焼酎には甲類、乙類、そして甲乙混和があります。明治期、鹿児島には3000を越える蔵元がありました。大半が地区や郷相手の小さな蔵元でした。また大正期から終戦後にかけては、通常焼酎といえば、カストリ(酒の絞り粕にモミガラを加えて蒸籠で蒸したりして作った粗悪なもの)や甲類焼酎のことでした。甲類は、明治末期に輸入された連続式蒸溜機から作られるエチルアルコールをベースにしたもので、工業化された製法は大量生産にふさわしいものでした。これに対して、薩摩や大隅、壱岐などの単式蒸溜機によるものが乙類でした。機械的に蒸溜を繰りかえして作られた純度の高い甲類に対し、乙類にはもろみや原料の特有性分が存分に含まれています。そこに蔵の差異や杜氏たちの腕の見せどころも生まれるのです。 本格焼酎の名は1971年生まれ/ 本格焼酎という名が生まれたのは、1971年のことでした。戦前日本では、学業の評価が甲乙丙丁戊で行なわれたり、入隊時の兵隊のランク付けにも甲乙丙が使われていました。するといかにも乙が甲に劣っているような印象を与えるため、登場したのが本格焼酎という命名でした。薩摩酒造が目指して来たし、これから目指してゆくのも丹精こめた手造り感に満ちた本格焼酎です。 焼酎の名前の色や命名/ 本格焼酎にはリキュールと違って、着色を促すような格別のものは使われてはいません。(焼酎の旨味成分が「焼酎の華」として浮いていたり、樫樽等の色が溶けこんでいることもありますが)それでも「黒白波」「赤薩摩」といった名称があるのはどうしてでしょう。それは用いられている麹で、白や黒や黄などの言葉が冠せられている時もあります。また原材料のサツマイモの品種によって、黄金や紫や紅や茜のついた名前がつけられる時もあります。名前は力士や人の名前でも同じですが、多くは瑞称といっておめでたい字が添えられます。「優・秀・誉・盛・錦・美」などがそうです。また山や川や海や地名などが付けられるのは、それらは不動にして揺るぐことのない強い言葉だからです。焼酎の名前からも、焼酎のふるさとが垣間見えるのも楽しいことです。 鹿児島県産の焼酎づくりに最も適したさつまいもであるコガネセンガンと米麹を原料に、薩摩に伝わる焼酎製法を継承する黒瀬杜氏が仕込んだ本格薩摩焼酎。しっかりした濃い甘さと、芋らしい香り。 原材料 さつまいも、米麹 度数 25度...
薩摩酒造 白波 明治の正中 1.8L 芋焼酎

薩摩酒造 白波 明治の正中 1.8L 芋焼酎

¥3,377 JPY
薩摩酒造 焼酎のふるさと 南薩摩 薩摩半島は大隅半島とともに、鹿児島県を二分する半島です。南薩摩はその半島の文字通り南の地域です。東は錦江湾に、西は東シナ海に面しています。地図を見て下さい。錦江湾の方から見た南薩摩地方は鹿児島の「鹿」にあやかるわけではありませんが、鹿の横顔に似てると思いませんか。鼻が開聞岳、口が指宿、鼻の穴が池田湖、そして目が枕崎や坊津、角が野間岬で耳の付け根が加世田でしょうか。 半島の東西には開聞岳と野間岳がそびえています。なかでも海辺からすっくと立ちあがった開聞岳は薩摩富士とも呼ばれ、多くの人々の信仰や敬愛の対象となってきました。 古くから栄えた 南薩摩 南薩摩は焼酎のふるさとだけでなく、日本の神話や古代文化が息づいていたふるさとでもあります。「日本書紀」や「古事記」に登場する笠沙宮や阿多隼人、また鑑真和尚がたどりついた坊津。坊津は後に遣唐使や南海貿易の拠点として、那の津(博多)や安濃津(伊勢)とともに日本三津の港とも呼ばれていました。ただ、薩摩半島の大半はシラス台地です。今では広大なサツマイモ畑や茶畑が広がっていますが、この美しい緑の大地の下には開墾や畑地灌漑など多くの人々の永年の血と汗と涙が脈うっているといってもいいでしょう。 乏しさが生む豊かな匠と銘水 枕崎から笠沙地方にかけては、断崖の入り組んだリアス式海岸です。しかし、時として田畑の乏しさは、豊かな技能集団を育てるものです。明治期、薩摩で焼酎造りがさかんになるとともに、笠沙の黒瀬杜氏の男衆は、杜氏として各地の蔵元に出向きました。これが後に阿多杜氏とともに黒瀬杜氏と呼ばれる技能集団の系譜を作ったのです。収穫の秋が近づくころ家を出て、半年ほど焼酎を造って、春わがやに帰る。黒瀬杜氏たちは、まさに腕一本でこの世を渡るマエストロたちです。さらにシラス台地は、保水性はありませんが、地下には滋味ある水を湛えています。薩摩大隅が今日、銘水のふるさととも言われるのもその証しでしょう。枕崎の白沢地区にも、神の河と呼ばれる湧水川があります。このように、南薩摩の土の恵み、人の匠、そして水の恵みがあいまって、本格焼酎のふるさとと呼ばれるような地域を作りあげてきたのです。 焼酎の造り方 焼酎は原材料となるサツマイモや麦など、そして麹と酵母と水から造られます。それを図示してみました。まず、良質なサツマイモなどの原材料が大切です。次に、「焼酎造りは麹造りから」という言葉もあるように、麹造りがカギを握ります。麹は二昼夜寝かされます。麹の機嫌をとりながらうまく寝かせるのがコツです。それに水と酵母を加えて仕込むのを一次仕込みといいます。そして約1週間後、今度は蒸して砕いたサツマイモなどの原材料を入れます。これが二次仕込みです。麹ももろみも活きています。ぷくぷくぶつぶつ、杜氏や倉子たちはほとんど不寝の番で、甕をのぞいたり櫂棒で混ぜたり、まさにもろみたちをなだめたりすかしたりという感じです。こうして約10日間醗酵された焼酎もろみを、いよいよ蒸溜してゆくのです。 焼酎の歴史 焼酎のルーツ/ 薩摩の焼酎が文献に登場するのは16世紀です。1546年、薩摩半島の山川に半年間程、ポルトガル人の船長のジョルジェ・アルバレスという人が滞在しました。彼は後に伝道のため来日するフランシスコ・ザビエルのため、『日本報告』を認めています。その中に、「飲み物として、米からつくるオラーカ」があると記されています。「オラーカ」とは、蒸溜酒のことです。 サツマイモの伝来/ サツマイモは中南米の原産で、フィリピンから中国、琉球を経て日本に伝わったと言われています。薩摩では、サツマイモはカライモと呼ばれてきました。カラは唐天竺のカラ。海のかなたからの到来物のイモと言うことです。逆に奄美の喜界島では、ハンスーと言ったりします。これは蕃薯(バンショ)が、ハンスーと訛ったものです。種子島では、17世紀末に領主種子島久基が島内に広めさせています。薩摩に伝わったのは1705年、山川の漁師利右衛門が、琉球からサツマイモを持ちかえりました。 利右衛門は甘藷翁と呼ばれ、「玉蔓大御食持命保食神(タマカズラオオミケモチノミコト)」となって同地の徳光神社に祭られています。なお後に甘藷先生と呼ばれた青木昆陽が『蕃薯考』を著したのは1735年のことです。 焼酎の知識 焼酎の甲類と乙類の違い/ 焼酎には甲類、乙類、そして甲乙混和があります。明治期、鹿児島には3000を越える蔵元がありました。大半が地区や郷相手の小さな蔵元でした。また大正期から終戦後にかけては、通常焼酎といえば、カストリ(酒の絞り粕にモミガラを加えて蒸籠で蒸したりして作った粗悪なもの)や甲類焼酎のことでした。甲類は、明治末期に輸入された連続式蒸溜機から作られるエチルアルコールをベースにしたもので、工業化された製法は大量生産にふさわしいものでした。これに対して、薩摩や大隅、壱岐などの単式蒸溜機によるものが乙類でした。機械的に蒸溜を繰りかえして作られた純度の高い甲類に対し、乙類にはもろみや原料の特有性分が存分に含まれています。そこに蔵の差異や杜氏たちの腕の見せどころも生まれるのです。 本格焼酎の名は1971年生まれ/ 本格焼酎という名が生まれたのは、1971年のことでした。戦前日本では、学業の評価が甲乙丙丁戊で行なわれたり、入隊時の兵隊のランク付けにも甲乙丙が使われていました。するといかにも乙が甲に劣っているような印象を与えるため、登場したのが本格焼酎という命名でした。薩摩酒造が目指して来たし、これから目指してゆくのも丹精こめた手造り感に満ちた本格焼酎です。 焼酎の名前の色や命名/ 本格焼酎にはリキュールと違って、着色を促すような格別のものは使われてはいません。(焼酎の旨味成分が「焼酎の華」として浮いていたり、樫樽等の色が溶けこんでいることもありますが)それでも「黒白波」「赤薩摩」といった名称があるのはどうしてでしょう。それは用いられている麹で、白や黒や黄などの言葉が冠せられている時もあります。また原材料のサツマイモの品種によって、黄金や紫や紅や茜のついた名前がつけられる時もあります。名前は力士や人の名前でも同じですが、多くは瑞称といっておめでたい字が添えられます。「優・秀・誉・盛・錦・美」などがそうです。また山や川や海や地名などが付けられるのは、それらは不動にして揺るぐことのない強い言葉だからです。焼酎の名前からも、焼酎のふるさとが垣間見えるのも楽しいことです。 明治期までの焼酎製造法を当時の文献をもとに再現した焼酎。黄麹を使い、どんぶり仕込みで仕込んだ、濃密な香りとほんのり酸味のある骨太な味わいが特徴です。 原材料 さつまいも、米麹 度数 25度...
薩摩酒造 白波 明治の正中 25度 720ml 芋焼酎

薩摩酒造 白波 明治の正中 25度 720ml 芋焼酎

¥1,760 JPY
薩摩酒造 焼酎のふるさと 南薩摩 薩摩半島は大隅半島とともに、鹿児島県を二分する半島です。南薩摩はその半島の文字通り南の地域です。東は錦江湾に、西は東シナ海に面しています。地図を見て下さい。錦江湾の方から見た南薩摩地方は鹿児島の「鹿」にあやかるわけではありませんが、鹿の横顔に似てると思いませんか。鼻が開聞岳、口が指宿、鼻の穴が池田湖、そして目が枕崎や坊津、角が野間岬で耳の付け根が加世田でしょうか。 半島の東西には開聞岳と野間岳がそびえています。なかでも海辺からすっくと立ちあがった開聞岳は薩摩富士とも呼ばれ、多くの人々の信仰や敬愛の対象となってきました。 古くから栄えた 南薩摩 南薩摩は焼酎のふるさとだけでなく、日本の神話や古代文化が息づいていたふるさとでもあります。「日本書紀」や「古事記」に登場する笠沙宮や阿多隼人、また鑑真和尚がたどりついた坊津。坊津は後に遣唐使や南海貿易の拠点として、那の津(博多)や安濃津(伊勢)とともに日本三津の港とも呼ばれていました。ただ、薩摩半島の大半はシラス台地です。今では広大なサツマイモ畑や茶畑が広がっていますが、この美しい緑の大地の下には開墾や畑地灌漑など多くの人々の永年の血と汗と涙が脈うっているといってもいいでしょう。 乏しさが生む豊かな匠と銘水 枕崎から笠沙地方にかけては、断崖の入り組んだリアス式海岸です。しかし、時として田畑の乏しさは、豊かな技能集団を育てるものです。明治期、薩摩で焼酎造りがさかんになるとともに、笠沙の黒瀬杜氏の男衆は、杜氏として各地の蔵元に出向きました。これが後に阿多杜氏とともに黒瀬杜氏と呼ばれる技能集団の系譜を作ったのです。収穫の秋が近づくころ家を出て、半年ほど焼酎を造って、春わがやに帰る。黒瀬杜氏たちは、まさに腕一本でこの世を渡るマエストロたちです。さらにシラス台地は、保水性はありませんが、地下には滋味ある水を湛えています。薩摩大隅が今日、銘水のふるさととも言われるのもその証しでしょう。枕崎の白沢地区にも、神の河と呼ばれる湧水川があります。このように、南薩摩の土の恵み、人の匠、そして水の恵みがあいまって、本格焼酎のふるさとと呼ばれるような地域を作りあげてきたのです。 焼酎の造り方 焼酎は原材料となるサツマイモや麦など、そして麹と酵母と水から造られます。それを図示してみました。まず、良質なサツマイモなどの原材料が大切です。次に、「焼酎造りは麹造りから」という言葉もあるように、麹造りがカギを握ります。麹は二昼夜寝かされます。麹の機嫌をとりながらうまく寝かせるのがコツです。それに水と酵母を加えて仕込むのを一次仕込みといいます。そして約1週間後、今度は蒸して砕いたサツマイモなどの原材料を入れます。これが二次仕込みです。麹ももろみも活きています。ぷくぷくぶつぶつ、杜氏や倉子たちはほとんど不寝の番で、甕をのぞいたり櫂棒で混ぜたり、まさにもろみたちをなだめたりすかしたりという感じです。こうして約10日間醗酵された焼酎もろみを、いよいよ蒸溜してゆくのです。 焼酎の歴史 焼酎のルーツ/ 薩摩の焼酎が文献に登場するのは16世紀です。1546年、薩摩半島の山川に半年間程、ポルトガル人の船長のジョルジェ・アルバレスという人が滞在しました。彼は後に伝道のため来日するフランシスコ・ザビエルのため、『日本報告』を認めています。その中に、「飲み物として、米からつくるオラーカ」があると記されています。「オラーカ」とは、蒸溜酒のことです。 サツマイモの伝来/ サツマイモは中南米の原産で、フィリピンから中国、琉球を経て日本に伝わったと言われています。薩摩では、サツマイモはカライモと呼ばれてきました。カラは唐天竺のカラ。海のかなたからの到来物のイモと言うことです。逆に奄美の喜界島では、ハンスーと言ったりします。これは蕃薯(バンショ)が、ハンスーと訛ったものです。種子島では、17世紀末に領主種子島久基が島内に広めさせています。薩摩に伝わったのは1705年、山川の漁師利右衛門が、琉球からサツマイモを持ちかえりました。 利右衛門は甘藷翁と呼ばれ、「玉蔓大御食持命保食神(タマカズラオオミケモチノミコト)」となって同地の徳光神社に祭られています。なお後に甘藷先生と呼ばれた青木昆陽が『蕃薯考』を著したのは1735年のことです。 焼酎の知識 焼酎の甲類と乙類の違い/ 焼酎には甲類、乙類、そして甲乙混和があります。明治期、鹿児島には3000を越える蔵元がありました。大半が地区や郷相手の小さな蔵元でした。また大正期から終戦後にかけては、通常焼酎といえば、カストリ(酒の絞り粕にモミガラを加えて蒸籠で蒸したりして作った粗悪なもの)や甲類焼酎のことでした。甲類は、明治末期に輸入された連続式蒸溜機から作られるエチルアルコールをベースにしたもので、工業化された製法は大量生産にふさわしいものでした。これに対して、薩摩や大隅、壱岐などの単式蒸溜機によるものが乙類でした。機械的に蒸溜を繰りかえして作られた純度の高い甲類に対し、乙類にはもろみや原料の特有性分が存分に含まれています。そこに蔵の差異や杜氏たちの腕の見せどころも生まれるのです。 本格焼酎の名は1971年生まれ/ 本格焼酎という名が生まれたのは、1971年のことでした。戦前日本では、学業の評価が甲乙丙丁戊で行なわれたり、入隊時の兵隊のランク付けにも甲乙丙が使われていました。するといかにも乙が甲に劣っているような印象を与えるため、登場したのが本格焼酎という命名でした。薩摩酒造が目指して来たし、これから目指してゆくのも丹精こめた手造り感に満ちた本格焼酎です。 焼酎の名前の色や命名/ 本格焼酎にはリキュールと違って、着色を促すような格別のものは使われてはいません。(焼酎の旨味成分が「焼酎の華」として浮いていたり、樫樽等の色が溶けこんでいることもありますが)それでも「黒白波」「赤薩摩」といった名称があるのはどうしてでしょう。それは用いられている麹で、白や黒や黄などの言葉が冠せられている時もあります。また原材料のサツマイモの品種によって、黄金や紫や紅や茜のついた名前がつけられる時もあります。名前は力士や人の名前でも同じですが、多くは瑞称といっておめでたい字が添えられます。「優・秀・誉・盛・錦・美」などがそうです。また山や川や海や地名などが付けられるのは、それらは不動にして揺るぐことのない強い言葉だからです。焼酎の名前からも、焼酎のふるさとが垣間見えるのも楽しいことです。 明治の正中は、明治三十五年の焼酎製造の 古記録に基づき、清酒で使われる 黄麹を使い、麹と主原料(甘薯、米)と水を 同時に加えて仕込む 「どんぶり仕込法」...
薩摩酒造 白波 黒麹仕込み 25度 900ml 芋焼酎

薩摩酒造 白波 黒麹仕込み 25度 900ml 芋焼酎

¥908 JPY
薩摩酒造 焼酎のふるさと 南薩摩 薩摩半島は大隅半島とともに、鹿児島県を二分する半島です。南薩摩はその半島の文字通り南の地域です。東は錦江湾に、西は東シナ海に面しています。地図を見て下さい。錦江湾の方から見た南薩摩地方は鹿児島の「鹿」にあやかるわけではありませんが、鹿の横顔に似てると思いませんか。鼻が開聞岳、口が指宿、鼻の穴が池田湖、そして目が枕崎や坊津、角が野間岬で耳の付け根が加世田でしょうか。 半島の東西には開聞岳と野間岳がそびえています。なかでも海辺からすっくと立ちあがった開聞岳は薩摩富士とも呼ばれ、多くの人々の信仰や敬愛の対象となってきました。 古くから栄えた 南薩摩 南薩摩は焼酎のふるさとだけでなく、日本の神話や古代文化が息づいていたふるさとでもあります。「日本書紀」や「古事記」に登場する笠沙宮や阿多隼人、また鑑真和尚がたどりついた坊津。坊津は後に遣唐使や南海貿易の拠点として、那の津(博多)や安濃津(伊勢)とともに日本三津の港とも呼ばれていました。ただ、薩摩半島の大半はシラス台地です。今では広大なサツマイモ畑や茶畑が広がっていますが、この美しい緑の大地の下には開墾や畑地灌漑など多くの人々の永年の血と汗と涙が脈うっているといってもいいでしょう。 乏しさが生む豊かな匠と銘水 枕崎から笠沙地方にかけては、断崖の入り組んだリアス式海岸です。しかし、時として田畑の乏しさは、豊かな技能集団を育てるものです。明治期、薩摩で焼酎造りがさかんになるとともに、笠沙の黒瀬杜氏の男衆は、杜氏として各地の蔵元に出向きました。これが後に阿多杜氏とともに黒瀬杜氏と呼ばれる技能集団の系譜を作ったのです。収穫の秋が近づくころ家を出て、半年ほど焼酎を造って、春わがやに帰る。黒瀬杜氏たちは、まさに腕一本でこの世を渡るマエストロたちです。さらにシラス台地は、保水性はありませんが、地下には滋味ある水を湛えています。薩摩大隅が今日、銘水のふるさととも言われるのもその証しでしょう。枕崎の白沢地区にも、神の河と呼ばれる湧水川があります。このように、南薩摩の土の恵み、人の匠、そして水の恵みがあいまって、本格焼酎のふるさとと呼ばれるような地域を作りあげてきたのです。 焼酎の造り方 焼酎は原材料となるサツマイモや麦など、そして麹と酵母と水から造られます。それを図示してみました。まず、良質なサツマイモなどの原材料が大切です。次に、「焼酎造りは麹造りから」という言葉もあるように、麹造りがカギを握ります。麹は二昼夜寝かされます。麹の機嫌をとりながらうまく寝かせるのがコツです。それに水と酵母を加えて仕込むのを一次仕込みといいます。そして約1週間後、今度は蒸して砕いたサツマイモなどの原材料を入れます。これが二次仕込みです。麹ももろみも活きています。ぷくぷくぶつぶつ、杜氏や倉子たちはほとんど不寝の番で、甕をのぞいたり櫂棒で混ぜたり、まさにもろみたちをなだめたりすかしたりという感じです。こうして約10日間醗酵された焼酎もろみを、いよいよ蒸溜してゆくのです。 焼酎の歴史 焼酎のルーツ/ 薩摩の焼酎が文献に登場するのは16世紀です。1546年、薩摩半島の山川に半年間程、ポルトガル人の船長のジョルジェ・アルバレスという人が滞在しました。彼は後に伝道のため来日するフランシスコ・ザビエルのため、『日本報告』を認めています。その中に、「飲み物として、米からつくるオラーカ」があると記されています。「オラーカ」とは、蒸溜酒のことです。 サツマイモの伝来/ サツマイモは中南米の原産で、フィリピンから中国、琉球を経て日本に伝わったと言われています。薩摩では、サツマイモはカライモと呼ばれてきました。カラは唐天竺のカラ。海のかなたからの到来物のイモと言うことです。逆に奄美の喜界島では、ハンスーと言ったりします。これは蕃薯(バンショ)が、ハンスーと訛ったものです。種子島では、17世紀末に領主種子島久基が島内に広めさせています。薩摩に伝わったのは1705年、山川の漁師利右衛門が、琉球からサツマイモを持ちかえりました。 利右衛門は甘藷翁と呼ばれ、「玉蔓大御食持命保食神(タマカズラオオミケモチノミコト)」となって同地の徳光神社に祭られています。なお後に甘藷先生と呼ばれた青木昆陽が『蕃薯考』を著したのは1735年のことです。 焼酎の知識 焼酎の甲類と乙類の違い/ 焼酎には甲類、乙類、そして甲乙混和があります。明治期、鹿児島には3000を越える蔵元がありました。大半が地区や郷相手の小さな蔵元でした。また大正期から終戦後にかけては、通常焼酎といえば、カストリ(酒の絞り粕にモミガラを加えて蒸籠で蒸したりして作った粗悪なもの)や甲類焼酎のことでした。甲類は、明治末期に輸入された連続式蒸溜機から作られるエチルアルコールをベースにしたもので、工業化された製法は大量生産にふさわしいものでした。これに対して、薩摩や大隅、壱岐などの単式蒸溜機によるものが乙類でした。機械的に蒸溜を繰りかえして作られた純度の高い甲類に対し、乙類にはもろみや原料の特有性分が存分に含まれています。そこに蔵の差異や杜氏たちの腕の見せどころも生まれるのです。 本格焼酎の名は1971年生まれ/ 本格焼酎という名が生まれたのは、1971年のことでした。戦前日本では、学業の評価が甲乙丙丁戊で行なわれたり、入隊時の兵隊のランク付けにも甲乙丙が使われていました。するといかにも乙が甲に劣っているような印象を与えるため、登場したのが本格焼酎という命名でした。薩摩酒造が目指して来たし、これから目指してゆくのも丹精こめた手造り感に満ちた本格焼酎です。 焼酎の名前の色や命名/ 本格焼酎にはリキュールと違って、着色を促すような格別のものは使われてはいません。(焼酎の旨味成分が「焼酎の華」として浮いていたり、樫樽等の色が溶けこんでいることもありますが)それでも「黒白波」「赤薩摩」といった名称があるのはどうしてでしょう。それは用いられている麹で、白や黒や黄などの言葉が冠せられている時もあります。また原材料のサツマイモの品種によって、黄金や紫や紅や茜のついた名前がつけられる時もあります。名前は力士や人の名前でも同じですが、多くは瑞称といっておめでたい字が添えられます。「優・秀・誉・盛・錦・美」などがそうです。また山や川や海や地名などが付けられるのは、それらは不動にして揺るぐことのない強い言葉だからです。焼酎の名前からも、焼酎のふるさとが垣間見えるのも楽しいことです。 白波に使用するさつま芋は、 南薩摩の 黄金千貫を使用し、黒麹仕込みならでわの 柔らかい香りと骨太な伝統的味わい。 黒白波は、ストレートでも、お湯割りでも、...
藤居酒造 洞窟かめ囲い のみちょれ 芋25度 720ml 芋焼酎

藤居酒造 洞窟かめ囲い のみちょれ 芋25度 720ml 芋焼酎

¥1,089 JPY
藤居酒造 氷点濾過を初めとする新技術の導入や洞窟内カメ貯蔵や樫樽貯蔵等、同一原料の物でも、様々な手法を用いた一味違うこだわりの焼酎を多数用意しております。 藤居酒造は、明治5年、屋号を萬力屋として野津町水池にて創業した大分では老舗の蔵元です。平成16年度全国一級河川水質調査では日本一のひとつとなった大野川上流域に所在し、自然環境豊かな “吉四六さん” で有名な「野津町」に蔵を構え、清酒と本格焼酎を醸造しています。 清酒龍梅は、ほぼ毎年、鑑評会では金賞を獲得するなど技術力には定評があり、地元で愛飲されています。また、豊後シリーズの麦焼酎は地元の方の晩酌の酒として愛されています。 なお、平成11年にOCPPオーガニック認証を取得し、有機麦焼酎造りを開始し、平成18年に “洞窟甕囲い有機麦焼酎 豊後の里” を誕生させるなど、さらなる技術革新に挑戦しています。 当社は140年の歴史を重ねてきた蔵であり、歴代の杜氏が清酒、焼酎の製造技術を研鑽してまいりました。しかし、技術というもの全てに言えることですが、伝統的産業である酒類の製造技術も、時代を経るごとに進化を重ねていくものです。当社では、長い歴史の中で蔵人達により積み上げられた技術を根本に据え、常に新たな素材や技術を洋の東西を問わず幅広く取り込むことにより新旧の技術の融合を図り、よりよい商品造りのために努力を続けております。 地酒の味は、その土地の料理、食材、気候そしてそれらによって育まれた人々、これら人も合わせた風土が形作るものであると当社では考えております。つまり、その土地の原料を用い、その土地に住む蔵人がその土地で酒を醸すことによってこそ独自の酒を造る事が出来るという思いから、一部の商品で地元農家との契約栽培で得られた地元産原料を用いた酒を造る運動を行っております。この運動は生産者の顔がわかる安心、安全な商品造りであると共に、豊かな恵みをもたらせてくれる風土に対する恩返しでもあります。 蒸留酒の世界を見てみますと、ブラウン、ホワイトリカー双方において蒸留後の熟成工程が製品の品質を高めるのに重要である事は周知の事実です。焼酎は世界的に見ても比較的若い焼酎が多く飲まれている点で珍しい蒸留酒ですが、多くの蒸溜酒同様に貯蔵熟成により、焼酎の持つ実力を高める事が出来ます。 焼酎に限らず、酒類の熟成に最も大切な事は環境です。年間を通して安定した温度、湿度を持つ環境が焼酎の熟成をより良い方向へと導くのです。この最良の環境を求め、当社では近隣の入念な調査を行いました。そして約十年前に天然記念物に指定されている風連鍾乳洞を有する山中に洞窟を発見し、整備を行い焼酎貯蔵庫として現在も使用しております。また一般的なタンク貯蔵や樫樽を用いた貯蔵を行う等、商品に応じて様々な熟成方法を用いております。 容量:720ml 麹菌:黒麹 蒸留方法:常圧蒸留
西山酒造場 小鼓 梅酒 “梅申春秋” (ばいしんしゅんじゅう) 1.8L

西山酒造場 小鼓 梅酒 “梅申春秋” (ばいしんしゅんじゅう) 1.8L

¥2,750 JPY
体にやさしく、本当においしいものをつくりたい。そう思うと同時に、今までお酒が苦手だと思われている方、お酒が飲めないと思われている方にも飲んでいただけるお酒を目指しています。 世間では、幻のお酒といわれているお酒があります。弊社も決して大きな蔵では御座いませんので一度に生産できるお酒は多くはありません。 ただ、そのめずらしさに一度飲んでいただいて、それで終わるのではなく、一生付き添っていけるお酒となるよう商品開発を行っています。 四季のある日本ゆえ、日本人の舌にも四季を感じとる力があります。造り手としてはそれを理解し、その上で、味わっていただける方に感動を与えたい。その思いで全ての商品開発を行っています。 西山酒造場では、まさに社員全員で酒づくりに取り組んでおります。 それは経営、市場調査、商品開発、製造、品質管理、販売、お客様相談室などなど、全ての段階において、西山酒造場は責任をもっておりますし、それぞれの担当が、そこで専門的に力を発揮してこそ、お客様に愛される酒蔵になれるものと思っています。 これまでもこれからも全員で酒づくりを続けていきます。 米、酵母、水、そして、杜氏を中心とした蔵人の心が一つになり、醸し出す伝統の技を今に伝えます。夜明け前に、空気中のチリを落としてシンシンと降る雪の中、聞こえてくるのは蔵人の威勢のいい声。 一日の仕込みが終わり、酒が搾られてくると柔らかい笑みがこぼれてくるのです。一滴一滴に丹波が溶け込む、丹波を味わう、それが小鼓。日本に四季があるように、小鼓にも四季があります。 西山酒造場で商品開発は、その表現にも意味を持たせています。 商品に込められたコンセプトは、伝わってこそのもの。伝わるためには、その表現もまた重要となります。 西山酒造場での表現は、その世界観を持って伝えられます。 日本酒ベースで仕上げた梅酒と 焼酎ベースで仕上げた梅酒を絶妙なブレンド配合で 梅本来の風味、旨みを十分に引き出した絶品の梅酒です。 【容 量】 1.8L 【度 数】 10度 【原材料】 梅、清酒、焼酎 醸造アルコール、糖類
西平酒造 加那 黒糖 30度 1.8L 黒糖焼酎

西平酒造 加那 黒糖 30度 1.8L 黒糖焼酎

¥2,728 JPY
タンクで1年、樫樽で1年あまり貯蔵した熟成酒で、瓶詰めして市場に出るときには“淡い琥珀色”が美しい輝きを放ち、存在感をアピールします。また、秀でた芳醇さをしっかり堪能して頂けるようになっています。その熟成酒の特徴ある風味は逸品です。「加那(かな)」とは、古語の愛なし(かなし=いとおしい)に由来した奄美の方言で「愛しい人、恋人」という意味です。 原材料 黒糖・米こうじ(国産米) 度数 30度 容量 1.8L
賀茂泉酒造 賀茂泉 純米吟醸 緑泉 本仕込 1.8L 純米吟醸 [J237]

賀茂泉酒造 賀茂泉 純米吟醸 緑泉 本仕込 1.8L 純米吟醸 [J237]

¥2,522 JPY
明治44年(1911)前垣寿一(初代)は父親が営んでいた米穀卸から23歳の時、志を立て酒造業を興し、大正元年(1912)、前垣酒造場を創業。酒名は地名の「賀茂」と当蔵所有の山林にある山陽道の名水「茗荷清水」を汲んで酒造りをしたことから、「賀茂泉」と名づけられました。 2代目前垣寿三は戦中に失われた本来の酒造りの復活を目指し、昭和40年(1965)から米、米こうじのみの酒造り(純米醸造)を始めました。試行錯誤の末、昭和46年(1971)、「本仕込賀茂泉」を発売。純米醸造のパイオニアとなりました。この頃昭和43年(1968)から増田幸夫が杜氏として迎えられ、賀茂泉純米醸造の技術の礎を築きました。現在も広島杜氏では最も経験のある杜氏として現役で活躍しています。 3代目前垣寿男は昭和50年頃からの第1次地酒ブームと合わせ、日本全国へ純米醸造酒普及のため精力的に活動し、「純米の賀茂泉」の名を全国に広めました。現在、純粋日本酒協会・代表幹事、西条酒造協会・理事長として賀茂泉だけでなく純米醸造酒、西条酒の発展のためにも努めています。また近年、賀茂泉は日本国内にとどまらずアメリカをはじめアジア、ヨーロッパと海外にも輸出され、世界中の人々を楽しませています。 広島杜氏伝承の三段仕込を忠実に守りながら、厳選された米を手造りで醸す賀茂泉は活性炭素ろ過を行なわず、芳醇で豊かな味わいと美しい山吹色した酒として親しまれています。 コメント 活性炭素濾過を行わず、美しい山吹色と米の旨みが しっかりと感じられる味わいが特長です。 辛口 ・ ・ ● ・ ・ 甘口 淡麗 ・ ・ ・ ・ ・ 濃酵 オススメの飲み方 ・ ● ● ● ・ ロック 冷や 常温 ぬる燗 上燗 容量 1.8L アルコール分 15度台 日本酒度 +1.0...
賀茂泉酒造 賀茂泉 造賀 純米酒 1.8L 純米 [J454]

賀茂泉酒造 賀茂泉 造賀 純米酒 1.8L 純米 [J454]

¥2,750 JPY
明治44年(1911)前垣寿一(初代)は父親が営んでいた米穀卸から23歳の時、志を立て酒造業を興し、大正元年(1912)、前垣酒造場を創業。酒名は地名の「賀茂」と当蔵所有の山林にある山陽道の名水「茗荷清水」を汲んで酒造りをしたことから、「賀茂泉」と名づけられました。 2代目前垣寿三は戦中に失われた本来の酒造りの復活を目指し、昭和40年(1965)から米、米こうじのみの酒造り(純米醸造)を始めました。試行錯誤の末、昭和46年(1971)、「本仕込賀茂泉」を発売。純米醸造のパイオニアとなりました。この頃昭和43年(1968)から増田幸夫が杜氏として迎えられ、賀茂泉純米醸造の技術の礎を築きました。現在も広島杜氏では最も経験のある杜氏として現役で活躍しています。 3代目前垣寿男は昭和50年頃からの第1次地酒ブームと合わせ、日本全国へ純米醸造酒普及のため精力的に活動し、「純米の賀茂泉」の名を全国に広めました。現在、純粋日本酒協会・代表幹事、西条酒造協会・理事長として賀茂泉だけでなく純米醸造酒、西条酒の発展のためにも努めています。また近年、賀茂泉は日本国内にとどまらずアメリカをはじめアジア、ヨーロッパと海外にも輸出され、世界中の人々を楽しませています。 広島杜氏伝承の三段仕込を忠実に守りながら、厳選された米を手造りで醸す賀茂泉は活性炭素ろ過を行なわず、芳醇で豊かな味わいと美しい山吹色した酒として親しまれています。 コメント 東広島市造賀地区産の山田錦だけで仕込んだ純米酒。 柔らかでしっとりとした旨みが特長です。 辛口 ・ ・ ● ・ ・ 甘口 淡麗 ・ ・ ・ ・ ・ 濃酵 オススメの飲み方 ・ ● ● ● ・ ロック 冷や 常温 ぬる燗 上燗 容量 1.8L アルコール分 15度台 日本酒度 ±0...
賀茂泉酒造 賀茂泉酒造 純米吟醸 朱泉 本仕込 1.8L 純米吟醸 [J029]

賀茂泉酒造 賀茂泉酒造 純米吟醸 朱泉 本仕込 1.8L 純米吟醸 [J029]

¥2,823 JPY
明治44年(1911)前垣寿一(初代)は父親が営んでいた米穀卸から23歳の時、志を立て酒造業を興し、大正元年(1912)、前垣酒造場を創業。酒名は地名の「賀茂」と当蔵所有の山林にある山陽道の名水「茗荷清水」を汲んで酒造りをしたことから、「賀茂泉」と名づけられました。 2代目前垣寿三は戦中に失われた本来の酒造りの復活を目指し、昭和40年(1965)から米、米こうじのみの酒造り(純米醸造)を始めました。試行錯誤の末、昭和46年(1971)、「本仕込賀茂泉」を発売。純米醸造のパイオニアとなりました。この頃昭和43年(1968)から増田幸夫が杜氏として迎えられ、賀茂泉純米醸造の技術の礎を築きました。現在も広島杜氏では最も経験のある杜氏として現役で活躍しています。 3代目前垣寿男は昭和50年頃からの第1次地酒ブームと合わせ、日本全国へ純米醸造酒普及のため精力的に活動し、「純米の賀茂泉」の名を全国に広めました。現在、純粋日本酒協会・代表幹事、西条酒造協会・理事長として賀茂泉だけでなく純米醸造酒、西条酒の発展のためにも努めています。また近年、賀茂泉は日本国内にとどまらずアメリカをはじめアジア、ヨーロッパと海外にも輸出され、世界中の人々を楽しませています。 広島杜氏伝承の三段仕込を忠実に守りながら、厳選された米を手造りで醸す賀茂泉は活性炭素ろ過を行なわず、芳醇で豊かな味わいと美しい山吹色した酒として親しまれています。 コメント 賀茂泉を代表する銘柄。 活性炭素濾過を一切施さず、芳醇で豊かな味わいが特長。 美しい山吹色が特長です。 辛口 ・ ・ ● ・ ・ 甘口 淡麗 ・ ・ ・ ・ ・ 濃酵 オススメの飲み方 ・ ● ● ● ・ ロック 冷や 常温 ぬる燗 上燗 容量 1.8L アルコール分 16度台 日本酒度...
賀茂泉酒造) 賀茂泉 純米酒 一 1.8L 純米酒 [J455]

賀茂泉酒造) 賀茂泉 純米酒 一 1.8L 純米酒 [J455]

¥2,090 JPY
明治44年(1911)前垣寿一(初代)は父親が営んでいた米穀卸から23歳の時、志を立て酒造業を興し、大正元年(1912)、前垣酒造場を創業。酒名は地名の「賀茂」と当蔵所有の山林にある山陽道の名水「茗荷清水」を汲んで酒造りをしたことから、「賀茂泉」と名づけられました。 2代目前垣寿三は戦中に失われた本来の酒造りの復活を目指し、昭和40年(1965)から米、米こうじのみの酒造り(純米醸造)を始めました。試行錯誤の末、昭和46年(1971)、「本仕込賀茂泉」を発売。純米醸造のパイオニアとなりました。この頃昭和43年(1968)から増田幸夫が杜氏として迎えられ、賀茂泉純米醸造の技術の礎を築きました。現在も広島杜氏では最も経験のある杜氏として現役で活躍しています。 3代目前垣寿男は昭和50年頃からの第1次地酒ブームと合わせ、日本全国へ純米醸造酒普及のため精力的に活動し、「純米の賀茂泉」の名を全国に広めました。現在、純粋日本酒協会・代表幹事、西条酒造協会・理事長として賀茂泉だけでなく純米醸造酒、西条酒の発展のためにも努めています。また近年、賀茂泉は日本国内にとどまらずアメリカをはじめアジア、ヨーロッパと海外にも輸出され、世界中の人々を楽しませています。 広島杜氏伝承の三段仕込を忠実に守りながら、厳選された米を手造りで醸す賀茂泉は活性炭素ろ過を行なわず、芳醇で豊かな味わいと美しい山吹色した酒として親しまれています。 コメント 「はじめの一杯をまず純米酒から」 がネーミングの由来。 すっきりと飲みあきしない純米酒です。 辛口 ・ ● ・ ・ ・ 甘口 淡麗 ・ ・ ・ ・ ・ 濃酵 オススメの飲み方 ・ ● ● ● ・ ロック 冷や 常温 ぬる燗 上燗 容量 1.8L アルコール分 15度台 日本酒度...
銀盤酒造 純米大吟醸 播州50 1.8L 純米大吟醸 [J260]

銀盤酒造 純米大吟醸 播州50 1.8L 純米大吟醸 [J260]

¥2,654 JPY
清酒 銀盤は、北アルプス黒部峡谷を臨む風光明媚な自然環境にあり、醸造は明治43年9月に始まり、太古の時代に酒が湧き出たと伝えられる荻生村に創業。現在の黒部川扇状地湧水群(昭和60年環境庁選定日本の名水百選の一つ。黒部川は建設省の平成10年の清流ランキングで通算4度目の全国一位)の名水を仕込み水とし、酒造好適米山田錦を惜しみなく磨き、研究を重ねてきました。「原料第一」と考え原料米に投資し、コンピュータ制御を備えた醸造機械や大型タンクが整備された工場で、米を磨いております。 また、平成8年4月には、「北陸初の地ビール」を完成させ、現在、アルコール分5%の秘峡黒部ビールや自家製ホップ他、すべて国産の原材料を使用した「黒部峡谷ビール」など、独自のコクと、フレッシュな旨みのあるキレの良いビールとして好評を得ています。また、アミノ酸の多い味醂や、長期貯蔵の本格焼酎(甲乙混和)も生産しております。 2000年から、発泡酒『黒部トレビアン』をはじめ、ガス入りワインやウォッカなども製造致しております。(容量330ml) 「水清き処は酒旨し処」といわれるように、日本酒の味は水によって大きく異なります。また、仕込みに使う水以外にも、米を洗い吸収させるための水や原酒に加える水など、酒造りには潤沢な天然の良水が不可欠です。 銀盤酒造では、酒命を宿す仕込み水に、日本名水百選にも選ばれた黒部川扇状地湧水群の軟水を使用しております。黒部川扇状地の湧水は、3000m級の山々が連なる北アルプス連峰に降り積もった雪が、花崗岩層を約10年かけて通り抜け濾過された清らかな水といわれています。その水は、昔から人々の暮らしを支える「命の水」として大切に守られてきました。 私たちは、急峻(きゅうしゅん)な峰々の裾野に広がる扇状地の水に感謝し、酒を醸してきました。さらりとした飲み口、心地よい余韻を愉しめる酒は、この地で好まれてきた端麗な口当りの中にも、湧水仕込みならではのまろやかさが広がります。 器を満たす酒をたしなむひと時、清冽無比な水と雄大な黒部の自然が思い浮かぶ芳醇な美酒 ? それが銀盤の酒です。 水とともに酒の味をつくるのが原料となる米です。良質の水と良質の米、このふたつに、杜氏、蔵人、酒蔵の技や情熱が加わって「心に残る旨い酒」が生まれます。 古来より「瑞穂の国」と謳われた日本の食文化である酒造りにおいて、私たち銀盤酒造が、創業以来百年を超える年月変えることがなかったのもまた「愚直なまでに追い求めてきた米へのこだわり」でした。 銀盤の酒造りに使われているのは、吟味を重ねた酒造好適米(しゅぞうこうてきまい)。酒造好適米は、大粒で米の中心部に心白(しんぱく)と呼ばれる白色不透明な部分があり、雑味のもとになるたんぱく質が少ないなど、酒造りに優れた特性を持っています。しかし、その反面収穫までにたいへん手間がかかる気難しい米としても知られています。 「酒米の王様」といわれる山田錦・雄町をはじめ、富山平野の肥沃な穀倉地帯が育んだ五百万石や富の香など、農家が手塩にかけて育てた米は私たちへと託され、厳寒の中、惜しみなく磨かれて米本来の旨みを生かした「本物の酒」へと生まれ変わります。 酒蔵では、精米することを「米を磨く」といいます。その言葉には、酒の原料である米を大切に扱い、旨い酒になってくれと願う蔵人の気持ちが込められています。 精米は、玄米の外側を残すと味に雑味が出るため、その部分を削る工程で、純米大吟醸では実に28%〜35%にまで米を磨きます。銀盤酒造では、コンピュータ制御された精米機によって米を磨いています。長年の研鑽の結果、銘柄によって異なる細やかな精米歩合にも対応。米が割れないよう、丁寧に精米をしており、理想の酒を醸すための白米づくりを行っています。 ほかにも、私たちの蔵では、さまざまな工程でいち早くオートメーション化を積極的に進め、高品質な酒を安定してお届けできる体制づくりに力を尽くしてきました。 信頼をいただいてきた「品質」のみに甘んじることなく、「品質を伴った量」を追求する理由は、そこで生まれた利益を価格に還元することで、よい酒を一人でも多くの方に愛飲していただきたいという酒蔵としての使命と願いがあります。 こうして醸された酒は、品質管理を徹底した低温貯蔵タンクで約6ヶ月寝かされまろやかさを増し、皆さまのお手元にお届けしています。 コメント 兵庫県産山田錦100%使用。 華やかな吟醸香となめらかな喉ごしの 辛口の大吟醸酒です。 辛口 ・ ● ・ ・ ・ 甘口 淡麗 ・ ・ ・ ● ・ 濃酵 オススメの飲み方...
長島研醸 島乙女 25° 1.8L 芋焼酎

長島研醸 島乙女 25° 1.8L 芋焼酎

¥1,892 JPY
天草諸島の南端に位置し、美しい海と大小18の島々からなる長島で育てられた特産のさつま芋を麦こうじ・米こうじで仕込んでいます。芋の力強さと麦の香りのブレンドした香りと甘みが楽しめます。さらりとした飲み口で、ロックや水割りにおすすめ。 原材料 芋、麦麹、米麹 度数 25度 容量 1800ml
長島研醸 芋焼酎 25° さつま島美人 1.8L 芋焼酎

長島研醸 芋焼酎 25° さつま島美人 1.8L 芋焼酎

¥1,782 JPY
まろやかな甘口で、いつまでも飽きずに飲めるくせのない焼酎です。島(世)の男性にいつまでも愛されるようにと願い「さつま島美人」と命名しました。豊かな芳香とコクのあるうまみのわかるお湯割、ひんやりとした喉ごしのオンザロック、ずばり生のままで風味を味わうストレート、お好みにあわせてどうぞ。 原材料 さつま芋(黄金千貫)・米麹(白) 度数 25度 容量 1800ml
長龍酒造 吉野杉の樽酒 1.8L 樽酒 [J339]

長龍酒造 吉野杉の樽酒 1.8L 樽酒 [J339]

¥2,398 JPY
精米 酒米の性質を丁寧に見極めながら美味し酒への願いを込めて米の形のまま磨き上げる原形精米です。大吟醸では実に三昼夜かけて磨き上げます。 洗米、浸漬 手洗いと浸漬のようすです。数秒単位の限定吸水を行うほど、細やかな心遣いが求められる作業です。 蒸し米、放冷 手洗いされた米は昔ながらの甑(こしき)によって蒸し上げられます。蔵人達が、精魂を込め、一粒一粒 のお米に愛情を注ぎ込んでいます。 製麹 日本酒の旨みを決める麹造りです。蔵人達は全身全霊をかけて麹造りに打ち込みます。麹室の中で温度湿度 を微妙に調整しながらおよそ二日間。こうして生まれた南部杜氏独自の突きはぜ麹。飲み口のきれいな長龍の極意です。 酒母 麹・蒸し米・水そこに酵母という微生物を加え、酒のモトとなる酒母をじっくりと育てていきます。杜氏は 全神経をそばだてて、見えざる酵母と語り合います。 発酵 そして酒造り最大の山場、醗酵。酒造りの真髄に打ち込む蔵人の愛情に応えるようにモロミは生まれ、 次第に姿を変え、新しい酒へと生まれ変わって行きます。 上槽 モロミが搾られ、長い旅を続けてきた米は今まさに清酒と酒粕に分かれます。酒が生まれる瞬間です。 貯蔵 広陵蔵で丹念に仕込まれた酒は、貯蔵タンクが並ぶ八尾蔵の地下冷房貯蔵庫に運ばれ、ここでじっくりと熟 成の眠りにつきます。やがて季節がめぐり時の力がまろみと香りを醸しだすと、新しい長龍の誕生の時を迎えます。 瓶詰 長龍独自の無菌ルームでの瓶詰め。わずかな品質変化もなくすシャワー冷却。私たちは、徹底して品質を求める酒造りを最後まで貫いています。 低温瓶貯蔵 大吟醸酒・ビンテージ純米酒などの商品は、瓶詰めした後、低温熟成しております。これは、味と香りの変化をより少なくし、ゆるやかな熟成を促し、旨みを逃さないためです。
長龍酒造 吉野杉の樽酒 300ml 瓶詰め樽酒 [J738]

長龍酒造 吉野杉の樽酒 300ml 瓶詰め樽酒 [J738]

¥451 JPY
精米 酒米の性質を丁寧に見極めながら美味し酒への願いを込めて米の形のまま磨き上げる原形精米です。大吟醸では実に三昼夜かけて磨き上げます。 洗米、浸漬 手洗いと浸漬のようすです。数秒単位の限定吸水を行うほど、細やかな心遣いが求められる作業です。 蒸し米、放冷 手洗いされた米は昔ながらの甑(こしき)によって蒸し上げられます。蔵人達が、精魂を込め、一粒一粒 のお米に愛情を注ぎ込んでいます。 製麹 日本酒の旨みを決める麹造りです。蔵人達は全身全霊をかけて麹造りに打ち込みます。麹室の中で温度湿度 を微妙に調整しながらおよそ二日間。こうして生まれた南部杜氏独自の突きはぜ麹。飲み口のきれいな長龍の極意です。 酒母 麹・蒸し米・水そこに酵母という微生物を加え、酒のモトとなる酒母をじっくりと育てていきます。杜氏は 全神経をそばだてて、見えざる酵母と語り合います。 発酵 そして酒造り最大の山場、醗酵。酒造りの真髄に打ち込む蔵人の愛情に応えるようにモロミは生まれ、 次第に姿を変え、新しい酒へと生まれ変わって行きます。 上槽 モロミが搾られ、長い旅を続けてきた米は今まさに清酒と酒粕に分かれます。酒が生まれる瞬間です。 貯蔵 広陵蔵で丹念に仕込まれた酒は、貯蔵タンクが並ぶ八尾蔵の地下冷房貯蔵庫に運ばれ、ここでじっくりと熟 成の眠りにつきます。やがて季節がめぐり時の力がまろみと香りを醸しだすと、新しい長龍の誕生の時を迎えます。 瓶詰 長龍独自の無菌ルームでの瓶詰め。わずかな品質変化もなくすシャワー冷却。私たちは、徹底して品質を求める酒造りを最後まで貫いています。 低温瓶貯蔵 大吟醸酒・ビンテージ純米酒などの商品は、瓶詰めした後、低温熟成しております。これは、味と香りの変化をより少なくし、ゆるやかな熟成を促し、旨みを逃さないためです。 コメント 樹齢約80年の吉野杉の甲付材のみを使用。 清澄な杉香が広がり、ほのかに感じる甘みとコク、 旨みの絶妙なバランスが特長です。 辛口...
長龍酒造 吉野杉の樽酒 720ml 樽酒 [J339]

長龍酒造 吉野杉の樽酒 720ml 樽酒 [J339]

¥1,078 JPY
精米 酒米の性質を丁寧に見極めながら美味し酒への願いを込めて米の形のまま磨き上げる原形精米です。大吟醸では実に三昼夜かけて磨き上げます。 洗米、浸漬 手洗いと浸漬のようすです。数秒単位の限定吸水を行うほど、細やかな心遣いが求められる作業です。 蒸し米、放冷 手洗いされた米は昔ながらの甑(こしき)によって蒸し上げられます。蔵人達が、精魂を込め、一粒一粒 のお米に愛情を注ぎ込んでいます。 製麹 日本酒の旨みを決める麹造りです。蔵人達は全身全霊をかけて麹造りに打ち込みます。麹室の中で温度湿度 を微妙に調整しながらおよそ二日間。こうして生まれた南部杜氏独自の突きはぜ麹。飲み口のきれいな長龍の極意です。 酒母 麹・蒸し米・水そこに酵母という微生物を加え、酒のモトとなる酒母をじっくりと育てていきます。杜氏は 全神経をそばだてて、見えざる酵母と語り合います。 発酵 そして酒造り最大の山場、醗酵。酒造りの真髄に打ち込む蔵人の愛情に応えるようにモロミは生まれ、 次第に姿を変え、新しい酒へと生まれ変わって行きます。 上槽 モロミが搾られ、長い旅を続けてきた米は今まさに清酒と酒粕に分かれます。酒が生まれる瞬間です。 貯蔵 広陵蔵で丹念に仕込まれた酒は、貯蔵タンクが並ぶ八尾蔵の地下冷房貯蔵庫に運ばれ、ここでじっくりと熟 成の眠りにつきます。やがて季節がめぐり時の力がまろみと香りを醸しだすと、新しい長龍の誕生の時を迎えます。 瓶詰 長龍独自の無菌ルームでの瓶詰め。わずかな品質変化もなくすシャワー冷却。私たちは、徹底して品質を求める酒造りを最後まで貫いています。 低温瓶貯蔵 大吟醸酒・ビンテージ純米酒などの商品は、瓶詰めした後、低温熟成しております。これは、味と香りの変化をより少なくし、ゆるやかな熟成を促し、旨みを逃さないためです。 コメント 樹齢約80年の吉野杉の甲付材のみを使用。 清澄な杉香が広がり、ほのかに感じる甘みとコク、 旨みの絶妙なバランスが特長です。 辛口...
長龍酒造 特醸長龍 本醸造 1.8L 本醸造 [J358]

長龍酒造 特醸長龍 本醸造 1.8L 本醸造 [J358]

¥1,958 JPY
精米 酒米の性質を丁寧に見極めながら美味し酒への願いを込めて米の形のまま磨き上げる原形精米です。大吟醸では実に三昼夜かけて磨き上げます。 洗米、浸漬 手洗いと浸漬のようすです。数秒単位の限定吸水を行うほど、細やかな心遣いが求められる作業です。 蒸し米、放冷 手洗いされた米は昔ながらの甑(こしき)によって蒸し上げられます。蔵人達が、精魂を込め、一粒一粒 のお米に愛情を注ぎ込んでいます。 製麹 日本酒の旨みを決める麹造りです。蔵人達は全身全霊をかけて麹造りに打ち込みます。麹室の中で温度湿度 を微妙に調整しながらおよそ二日間。こうして生まれた南部杜氏独自の突きはぜ麹。飲み口のきれいな長龍の極意です。 酒母 麹・蒸し米・水そこに酵母という微生物を加え、酒のモトとなる酒母をじっくりと育てていきます。杜氏は 全神経をそばだてて、見えざる酵母と語り合います。 発酵 そして酒造り最大の山場、醗酵。酒造りの真髄に打ち込む蔵人の愛情に応えるようにモロミは生まれ、 次第に姿を変え、新しい酒へと生まれ変わって行きます。 上槽 モロミが搾られ、長い旅を続けてきた米は今まさに清酒と酒粕に分かれます。酒が生まれる瞬間です。 貯蔵 広陵蔵で丹念に仕込まれた酒は、貯蔵タンクが並ぶ八尾蔵の地下冷房貯蔵庫に運ばれ、ここでじっくりと熟 成の眠りにつきます。やがて季節がめぐり時の力がまろみと香りを醸しだすと、新しい長龍の誕生の時を迎えます。 瓶詰 長龍独自の無菌ルームでの瓶詰め。わずかな品質変化もなくすシャワー冷却。私たちは、徹底して品質を求める酒造りを最後まで貫いています。 低温瓶貯蔵 大吟醸酒・ビンテージ純米酒などの商品は、瓶詰めした後、低温熟成しております。これは、味と香りの変化をより少なくし、ゆるやかな熟成を促し、旨みを逃さないためです。 コメント お米由来のほのかな甘みと酸味が バランス良く調和した、すっきりとして飲みあきしない 上品な旨さが特長です。 辛口...
長龍酒造 長龍 純米吟醸 1.8L 純米吟醸 [J448]

長龍酒造 長龍 純米吟醸 1.8L 純米吟醸 [J448]

¥3,080 JPY
精米 酒米の性質を丁寧に見極めながら美味し酒への願いを込めて米の形のまま磨き上げる原形精米です。大吟醸では実に三昼夜かけて磨き上げます。 洗米、浸漬 手洗いと浸漬のようすです。数秒単位の限定吸水を行うほど、細やかな心遣いが求められる作業です。 蒸し米、放冷 手洗いされた米は昔ながらの甑(こしき)によって蒸し上げられます。蔵人達が、精魂を込め、一粒一粒 のお米に愛情を注ぎ込んでいます。 製麹 日本酒の旨みを決める麹造りです。蔵人達は全身全霊をかけて麹造りに打ち込みます。麹室の中で温度湿度 を微妙に調整しながらおよそ二日間。こうして生まれた南部杜氏独自の突きはぜ麹。飲み口のきれいな長龍の極意です。 酒母 麹・蒸し米・水そこに酵母という微生物を加え、酒のモトとなる酒母をじっくりと育てていきます。杜氏は 全神経をそばだてて、見えざる酵母と語り合います。 発酵 そして酒造り最大の山場、醗酵。酒造りの真髄に打ち込む蔵人の愛情に応えるようにモロミは生まれ、 次第に姿を変え、新しい酒へと生まれ変わって行きます。 上槽 モロミが搾られ、長い旅を続けてきた米は今まさに清酒と酒粕に分かれます。酒が生まれる瞬間です。 貯蔵 広陵蔵で丹念に仕込まれた酒は、貯蔵タンクが並ぶ八尾蔵の地下冷房貯蔵庫に運ばれ、ここでじっくりと熟 成の眠りにつきます。やがて季節がめぐり時の力がまろみと香りを醸しだすと、新しい長龍の誕生の時を迎えます。 瓶詰 長龍独自の無菌ルームでの瓶詰め。わずかな品質変化もなくすシャワー冷却。私たちは、徹底して品質を求める酒造りを最後まで貫いています。 低温瓶貯蔵 大吟醸酒・ビンテージ純米酒などの商品は、瓶詰めした後、低温熟成しております。これは、味と香りの変化をより少なくし、ゆるやかな熟成を促し、旨みを逃さないためです。 コメント 「備前雄町」を使用。 吟醸造りで醸したお酒を地下冷房貯蔵庫で瓶内熟成。 豊かな香りとふくらみのある味わいが特長です。 辛口...
長龍酒造 長龍 純米吟醸 720ml 純米吟醸 [J449]

長龍酒造 長龍 純米吟醸 720ml 純米吟醸 [J449]

¥1,540 JPY
精米 酒米の性質を丁寧に見極めながら美味し酒への願いを込めて米の形のまま磨き上げる原形精米です。大吟醸では実に三昼夜かけて磨き上げます。 洗米、浸漬 手洗いと浸漬のようすです。数秒単位の限定吸水を行うほど、細やかな心遣いが求められる作業です。 蒸し米、放冷 手洗いされた米は昔ながらの甑(こしき)によって蒸し上げられます。蔵人達が、精魂を込め、一粒一粒 のお米に愛情を注ぎ込んでいます。 製麹 日本酒の旨みを決める麹造りです。蔵人達は全身全霊をかけて麹造りに打ち込みます。麹室の中で温度湿度 を微妙に調整しながらおよそ二日間。こうして生まれた南部杜氏独自の突きはぜ麹。飲み口のきれいな長龍の極意です。 酒母 麹・蒸し米・水そこに酵母という微生物を加え、酒のモトとなる酒母をじっくりと育てていきます。杜氏は 全神経をそばだてて、見えざる酵母と語り合います。 発酵 そして酒造り最大の山場、醗酵。酒造りの真髄に打ち込む蔵人の愛情に応えるようにモロミは生まれ、 次第に姿を変え、新しい酒へと生まれ変わって行きます。 上槽 モロミが搾られ、長い旅を続けてきた米は今まさに清酒と酒粕に分かれます。酒が生まれる瞬間です。 貯蔵 広陵蔵で丹念に仕込まれた酒は、貯蔵タンクが並ぶ八尾蔵の地下冷房貯蔵庫に運ばれ、ここでじっくりと熟 成の眠りにつきます。やがて季節がめぐり時の力がまろみと香りを醸しだすと、新しい長龍の誕生の時を迎えます。 瓶詰 長龍独自の無菌ルームでの瓶詰め。わずかな品質変化もなくすシャワー冷却。私たちは、徹底して品質を求める酒造りを最後まで貫いています。 低温瓶貯蔵 大吟醸酒・ビンテージ純米酒などの商品は、瓶詰めした後、低温熟成しております。これは、味と香りの変化をより少なくし、ゆるやかな熟成を促し、旨みを逃さないためです。 コメント 「備前雄町」を使用。 吟醸造りで醸したお酒を地下冷房貯蔵庫で瓶内熟成。 豊かな香りとふくらみのある味わいが特長です。 辛口...
雲海酒造 マヤンの呟き そば38度 720ml そば焼酎

雲海酒造 マヤンの呟き そば38度 720ml そば焼酎

¥3,080 JPY
雲海酒造 本格焼酎を味わうことは、蔵と自然を味わうこと。 清らかな水が流れ、澄みきった風が森を吹き抜ける。 そんな美しい自然の中に、雲海酒造の本格焼酎蔵はあります。 土地が変わり、水が変われば、本格焼酎の味わいも変わります。 だから、私たちは蔵とその背景にある自然にこだわります。 自然の恵みを生かし、その蔵ならではの旨さを追求すること。 その地を心から愛する杜氏たちの手で、丁寧に個性を磨き上げること。 今日も、それぞれの蔵で、それぞれの蔵でしか造れない 「ふるさと」を持つ本格焼酎が生まれています。 自然を愛し、文化を育む。 技を磨き、お客様の喜びを創り続ける。 それが、雲海酒造の本格焼酎造りです。 大地と天の豊かさが溶け込む湧き水。 日本の名水百選にも選ばれた「綾の湧水群」。広大な照葉樹林は、九州一の降水量を誇る雨を枯葉地層でろ過。大地に一度もぐらせて美しい湧水として川へ運びます。酵母を活性化さっせるミネラル豊富な水質は、本格焼酎を造る者にとって大きな宝物になります。仕込みに、割り水に。森が磨いてくれた水は、本格麦焼酎をはじめ、さまざまな本格焼酎の旨さの母になっています。 飲む人の生活に耳を傾ける焼酎造り。 本格焼酎の楽しみ方は地域によって様々。たとえば宮崎では、本格芋焼酎はそのままカンをつけて飲む20度のものが好まれてきました。大淀川の畔に誕生した高岡蔵は、宮崎県内の芋を使い、その土地で愛される本格芋焼酎の製造蔵です。造る者と飲む人が、互いにふれあえる距離で愛すべき旨さを求める。本格焼酎造りの理想がここにあります。 焼酎造りに教科書はない。何はともあれまず素材。 本格芋焼酎造りにかかせないことは、まず原料芋に愛情を持って接すること。芋は、小さなキズからも痛みやすく、傷んだ芋を使ってしまうと余計な雑味のある焼酎になってしまいます。芋が収穫される夏から秋にかけて、出水蔵では、土地の人たちがたいせつに育てた原料芋が毎日届けられます。蔵人たちは芋の一個一個を自分の手に取り、見えない部分の傷みまで厳しくチェックし、傷んだ部分は慎重に切り取っていきます。 繊細な命と造る本格焼酎。温度管理は24時間。 原料の次に、本格芋焼酎の旨味を左右するのは麹菌、酵母菌などの「命」。いい働きをしてもらうためには、人がつきっきりで「命」たちが快適である温度管理をしてあげることが必要です。そして、その加減は季節やいろんな条件によって千差万別。職人の経験と技はもちろん、本格芋焼酎への深い愛情がなければできない仕事です。 若い原酒の旨さを安定させる。 本格焼酎ならではの単式蒸留で、素材の旨味を活かした原酒は、まだ若く、旨さが安定していません。それをなだめるため時間と手間が必要になります。蒸留から3〜4ヶ月、原酒の性格は大きく様変わりしていきます。タンクの中でも成長を続ける原酒の声に耳を傾けながら、より旨い本格焼酎に仕上げるために蔵人たちは片時も目を離しません。もともと持っている旨みを失うことなく、より上質な本格焼酎へ。原酒の香りや風味が落ち着く頃、蔵人たちの顔には、やっと笑みがこぼれ始めます。 本格焼酎ができあがるまでに大切なこと ウィスキー、ワイン、ブランデー・・・と世界の名だたる酒と肩を並べ、日本が世界に誇れる蒸留酒、それが『本格焼酎』です。 作業工程 麹造り…本格焼酎最大の特徴です。 並行複発酵…糖化と発酵が同時に進みます。 単式蒸留…1回の蒸留しか行いません。 熟成・貯蔵...
雲海酒造 薩摩古秘 芋25度 1.8L 芋焼酎

雲海酒造 薩摩古秘 芋25度 1.8L 芋焼酎

¥2,090 JPY
雲海酒造 本格焼酎を味わうことは、蔵と自然を味わうこと。 清らかな水が流れ、澄みきった風が森を吹き抜ける。 そんな美しい自然の中に、雲海酒造の本格焼酎蔵はあります。 土地が変わり、水が変われば、本格焼酎の味わいも変わります。 だから、私たちは蔵とその背景にある自然にこだわります。 自然の恵みを生かし、その蔵ならではの旨さを追求すること。 その地を心から愛する杜氏たちの手で、丁寧に個性を磨き上げること。 今日も、それぞれの蔵で、それぞれの蔵でしか造れない 「ふるさと」を持つ本格焼酎が生まれています。 自然を愛し、文化を育む。 技を磨き、お客様の喜びを創り続ける。 それが、雲海酒造の本格焼酎造りです。 大地と天の豊かさが溶け込む湧き水。 日本の名水百選にも選ばれた「綾の湧水群」。広大な照葉樹林は、九州一の降水量を誇る雨を枯葉地層でろ過。大地に一度もぐらせて美しい湧水として川へ運びます。酵母を活性化さっせるミネラル豊富な水質は、本格焼酎を造る者にとって大きな宝物になります。仕込みに、割り水に。森が磨いてくれた水は、本格麦焼酎をはじめ、さまざまな本格焼酎の旨さの母になっています。 飲む人の生活に耳を傾ける焼酎造り。 本格焼酎の楽しみ方は地域によって様々。たとえば宮崎では、本格芋焼酎はそのままカンをつけて飲む20度のものが好まれてきました。大淀川の畔に誕生した高岡蔵は、宮崎県内の芋を使い、その土地で愛される本格芋焼酎の製造蔵です。造る者と飲む人が、互いにふれあえる距離で愛すべき旨さを求める。本格焼酎造りの理想がここにあります。 焼酎造りに教科書はない。何はともあれまず素材。 本格芋焼酎造りにかかせないことは、まず原料芋に愛情を持って接すること。芋は、小さなキズからも痛みやすく、傷んだ芋を使ってしまうと余計な雑味のある焼酎になってしまいます。芋が収穫される夏から秋にかけて、出水蔵では、土地の人たちがたいせつに育てた原料芋が毎日届けられます。蔵人たちは芋の一個一個を自分の手に取り、見えない部分の傷みまで厳しくチェックし、傷んだ部分は慎重に切り取っていきます。 繊細な命と造る本格焼酎。温度管理は24時間。 原料の次に、本格芋焼酎の旨味を左右するのは麹菌、酵母菌などの「命」。いい働きをしてもらうためには、人がつきっきりで「命」たちが快適である温度管理をしてあげることが必要です。そして、その加減は季節やいろんな条件によって千差万別。職人の経験と技はもちろん、本格芋焼酎への深い愛情がなければできない仕事です。 若い原酒の旨さを安定させる。 本格焼酎ならではの単式蒸留で、素材の旨味を活かした原酒は、まだ若く、旨さが安定していません。それをなだめるため時間と手間が必要になります。蒸留から3〜4ヶ月、原酒の性格は大きく様変わりしていきます。タンクの中でも成長を続ける原酒の声に耳を傾けながら、より旨い本格焼酎に仕上げるために蔵人たちは片時も目を離しません。もともと持っている旨みを失うことなく、より上質な本格焼酎へ。原酒の香りや風味が落ち着く頃、蔵人たちの顔には、やっと笑みがこぼれ始めます。 本格焼酎ができあがるまでに大切なこと ウィスキー、ワイン、ブランデー・・・と世界の名だたる酒と肩を並べ、日本が世界に誇れる蒸留酒、それが『本格焼酎』です。 作業工程 麹造り…本格焼酎最大の特徴です。 並行複発酵…糖化と発酵が同時に進みます。 単式蒸留…1回の蒸留しか行いません。 熟成・貯蔵...
雲海酒造 那由多の刻(なゆたのとき) そば25度 720ml そば焼酎

雲海酒造 那由多の刻(なゆたのとき) そば25度 720ml そば焼酎

¥1,320 JPY
雲海酒造 本格焼酎を味わうことは、蔵と自然を味わうこと。 清らかな水が流れ、澄みきった風が森を吹き抜ける。 そんな美しい自然の中に、雲海酒造の本格焼酎蔵はあります。 土地が変わり、水が変われば、本格焼酎の味わいも変わります。 だから、私たちは蔵とその背景にある自然にこだわります。 自然の恵みを生かし、その蔵ならではの旨さを追求すること。 その地を心から愛する杜氏たちの手で、丁寧に個性を磨き上げること。 今日も、それぞれの蔵で、それぞれの蔵でしか造れない 「ふるさと」を持つ本格焼酎が生まれています。 自然を愛し、文化を育む。 技を磨き、お客様の喜びを創り続ける。 それが、雲海酒造の本格焼酎造りです。 大地と天の豊かさが溶け込む湧き水。 日本の名水百選にも選ばれた「綾の湧水群」。広大な照葉樹林は、九州一の降水量を誇る雨を枯葉地層でろ過。大地に一度もぐらせて美しい湧水として川へ運びます。酵母を活性化さっせるミネラル豊富な水質は、本格焼酎を造る者にとって大きな宝物になります。仕込みに、割り水に。森が磨いてくれた水は、本格麦焼酎をはじめ、さまざまな本格焼酎の旨さの母になっています。 飲む人の生活に耳を傾ける焼酎造り。 本格焼酎の楽しみ方は地域によって様々。たとえば宮崎では、本格芋焼酎はそのままカンをつけて飲む20度のものが好まれてきました。大淀川の畔に誕生した高岡蔵は、宮崎県内の芋を使い、その土地で愛される本格芋焼酎の製造蔵です。造る者と飲む人が、互いにふれあえる距離で愛すべき旨さを求める。本格焼酎造りの理想がここにあります。 焼酎造りに教科書はない。何はともあれまず素材。 本格芋焼酎造りにかかせないことは、まず原料芋に愛情を持って接すること。芋は、小さなキズからも痛みやすく、傷んだ芋を使ってしまうと余計な雑味のある焼酎になってしまいます。芋が収穫される夏から秋にかけて、出水蔵では、土地の人たちがたいせつに育てた原料芋が毎日届けられます。蔵人たちは芋の一個一個を自分の手に取り、見えない部分の傷みまで厳しくチェックし、傷んだ部分は慎重に切り取っていきます。 繊細な命と造る本格焼酎。温度管理は24時間。 原料の次に、本格芋焼酎の旨味を左右するのは麹菌、酵母菌などの「命」。いい働きをしてもらうためには、人がつきっきりで「命」たちが快適である温度管理をしてあげることが必要です。そして、その加減は季節やいろんな条件によって千差万別。職人の経験と技はもちろん、本格芋焼酎への深い愛情がなければできない仕事です。 若い原酒の旨さを安定させる。 本格焼酎ならではの単式蒸留で、素材の旨味を活かした原酒は、まだ若く、旨さが安定していません。それをなだめるため時間と手間が必要になります。蒸留から3〜4ヶ月、原酒の性格は大きく様変わりしていきます。タンクの中でも成長を続ける原酒の声に耳を傾けながら、より旨い本格焼酎に仕上げるために蔵人たちは片時も目を離しません。もともと持っている旨みを失うことなく、より上質な本格焼酎へ。原酒の香りや風味が落ち着く頃、蔵人たちの顔には、やっと笑みがこぼれ始めます。 本格焼酎ができあがるまでに大切なこと ウィスキー、ワイン、ブランデー・・・と世界の名だたる酒と肩を並べ、日本が世界に誇れる蒸留酒、それが『本格焼酎』です。 作業工程 麹造り…本格焼酎最大の特徴です。 並行複発酵…糖化と発酵が同時に進みます。 単式蒸留…1回の蒸留しか行いません。 熟成・貯蔵...
霧島酒造 赤霧島 25度 1.8L 芋焼酎 《1800ml》

霧島酒造 赤霧島 25度 1.8L 芋焼酎 《1800ml》

¥1,925 JPY
幻の紫芋「ムラサキマサリ」が原料。ムラサキマサリに豊富に含まれるポリフェノールと焼酎麹が生成するクエン酸に反応して、もろみが真っ赤になることから「赤霧島」と命名しました。後を引くような甘みと気品高い香りが特徴の全く新しいタイプの芋焼酎です。 原材料 さつまいも(ムラサキマサリ)、米こうじ 度数 25度 容量 1.8L
香住鶴 香住鶴 山廃 純米吟醸 720ml 純米

香住鶴 香住鶴 山廃 純米吟醸 720ml 純米

¥1,950 JPY
「但馬の誇りたれ」 1. 品質第一 1. 地域第一 1. 真心第一 生もと/山廃蔵 — 天然乳酸菌発酵 香住鶴は、兵庫県の旧香住町にて古来より伝わる日本酒の製造法「生もと造り」にこだわり、独特の風味を造り上げています。蔵人が一体となって丹念に仕上げる香住鶴の真心と伝統の味をどうぞご賞味ください。 こだわりの酒造り なぜ?米から日本酒(アルコール)ができるのか 酒造りに最も必要なのは、米の中心部にあるデンプン質で外層部にあるタンパク質や脂肪は酒の香味や色沢を劣化させる為、精米をして削り取ります。どれだけ精米するかは酒の種類によって異なります。発酵とは、酵母菌が糖分(ブドウ糖)を食べてアルコールと炭酸ガスを出すことですが、日本酒の原料である米には糖分が含まれていません。そこでこうじ菌が活躍します。 米こうじの役割 こうじ菌が米のデンプン質を糖分に変えます。その糖分を酵母菌が食べてアルコール発酵をするという事が、日本酒の発酵の仕組の中心部分です。 酒母(しゅぼ) 良い酒母(もと)とは 優良酵母を純粋に多数培養したもの 多量の乳酸を含有すること 純粋な優良酵母が大事なのは、優良な酒質につながる為である 生もと系酒母 生もと系酒母には、生もとと山廃もとがあります。この酒母は自然界の乳酸菌や微生物を利用して酵母を培養する日本酒の伝統的製法です。 生もとと山廃もとの違い 生もと造りには、米の溶解、糖化を促進する為にもとの仕込みに使用する米と米こうじを櫂で適宜破砕する山卸しと呼ばれる作業があります。 山廃もとには、山卸作業が無く(山卸作業を廃止して造ったもと、略して山廃もとという)水麹や荒櫂をもって代行簡易化して造ったもとです。 速醸系酒母 速醸系酒母とは、仕込み時に適量の乳酸を加え乳酸酸性とし酵母菌以外の菌類の繁殖を抑え、清酒酵母のみ純粋に培養する合理的な製造方法で作られた酒母です。その味は洗練され、短期間でさっと仕上げたもとからは華やかで香り高い日本酒が生まれます。 米・水 原料米...
香住鶴 香住鶴 生もと 純米 1.8L 純米

香住鶴 香住鶴 生もと 純米 1.8L 純米

¥2,400 JPY
「但馬の誇りたれ」 1. 品質第一 1. 地域第一 1. 真心第一 生もと/山廃蔵 — 天然乳酸菌発酵 香住鶴は、兵庫県の旧香住町にて古来より伝わる日本酒の製造法「生もと造り」にこだわり、独特の風味を造り上げています。蔵人が一体となって丹念に仕上げる香住鶴の真心と伝統の味をどうぞご賞味ください。 こだわりの酒造り なぜ?米から日本酒(アルコール)ができるのか 酒造りに最も必要なのは、米の中心部にあるデンプン質で外層部にあるタンパク質や脂肪は酒の香味や色沢を劣化させる為、精米をして削り取ります。どれだけ精米するかは酒の種類によって異なります。発酵とは、酵母菌が糖分(ブドウ糖)を食べてアルコールと炭酸ガスを出すことですが、日本酒の原料である米には糖分が含まれていません。そこでこうじ菌が活躍します。 米こうじの役割 こうじ菌が米のデンプン質を糖分に変えます。その糖分を酵母菌が食べてアルコール発酵をするという事が、日本酒の発酵の仕組の中心部分です。 酒母(しゅぼ) 良い酒母(もと)とは 優良酵母を純粋に多数培養したもの 多量の乳酸を含有すること 純粋な優良酵母が大事なのは、優良な酒質につながる為である 生もと系酒母 生もと系酒母には、生もとと山廃もとがあります。この酒母は自然界の乳酸菌や微生物を利用して酵母を培養する日本酒の伝統的製法です。 生もとと山廃もとの違い 生もと造りには、米の溶解、糖化を促進する為にもとの仕込みに使用する米と米こうじを櫂で適宜破砕する山卸しと呼ばれる作業があります。 山廃もとには、山卸作業が無く(山卸作業を廃止して造ったもと、略して山廃もとという)水麹や荒櫂をもって代行簡易化して造ったもとです。 速醸系酒母 速醸系酒母とは、仕込み時に適量の乳酸を加え乳酸酸性とし酵母菌以外の菌類の繁殖を抑え、清酒酵母のみ純粋に培養する合理的な製造方法で作られた酒母です。その味は洗練され、短期間でさっと仕上げたもとからは華やかで香り高い日本酒が生まれます。 米・水 原料米...
香住鶴 香住鶴 生もと 純米 720ml 純米

香住鶴 香住鶴 生もと 純米 720ml 純米

¥1,680 JPY
「但馬の誇りたれ」 1. 品質第一 1. 地域第一 1. 真心第一 生もと/山廃蔵 — 天然乳酸菌発酵 香住鶴は、兵庫県の旧香住町にて古来より伝わる日本酒の製造法「生もと造り」にこだわり、独特の風味を造り上げています。蔵人が一体となって丹念に仕上げる香住鶴の真心と伝統の味をどうぞご賞味ください。 こだわりの酒造り なぜ?米から日本酒(アルコール)ができるのか 酒造りに最も必要なのは、米の中心部にあるデンプン質で外層部にあるタンパク質や脂肪は酒の香味や色沢を劣化させる為、精米をして削り取ります。どれだけ精米するかは酒の種類によって異なります。発酵とは、酵母菌が糖分(ブドウ糖)を食べてアルコールと炭酸ガスを出すことですが、日本酒の原料である米には糖分が含まれていません。そこでこうじ菌が活躍します。 米こうじの役割 こうじ菌が米のデンプン質を糖分に変えます。その糖分を酵母菌が食べてアルコール発酵をするという事が、日本酒の発酵の仕組の中心部分です。 酒母(しゅぼ) 良い酒母(もと)とは 優良酵母を純粋に多数培養したもの 多量の乳酸を含有すること 純粋な優良酵母が大事なのは、優良な酒質につながる為である 生もと系酒母 生もと系酒母には、生もとと山廃もとがあります。この酒母は自然界の乳酸菌や微生物を利用して酵母を培養する日本酒の伝統的製法です。 生もとと山廃もとの違い 生もと造りには、米の溶解、糖化を促進する為にもとの仕込みに使用する米と米こうじを櫂で適宜破砕する山卸しと呼ばれる作業があります。 山廃もとには、山卸作業が無く(山卸作業を廃止して造ったもと、略して山廃もとという)水麹や荒櫂をもって代行簡易化して造ったもとです。 速醸系酒母 速醸系酒母とは、仕込み時に適量の乳酸を加え乳酸酸性とし酵母菌以外の菌類の繁殖を抑え、清酒酵母のみ純粋に培養する合理的な製造方法で作られた酒母です。その味は洗練され、短期間でさっと仕上げたもとからは華やかで香り高い日本酒が生まれます。 米・水 原料米...
香住鶴 香住鶴 生もとからくち 720ml

香住鶴 香住鶴 生もとからくち 720ml

¥1,380 JPY
「但馬の誇りたれ」 1. 品質第一 1. 地域第一 1. 真心第一 生もと/山廃蔵 — 天然乳酸菌発酵 香住鶴は、兵庫県の旧香住町にて古来より伝わる日本酒の製造法「生もと造り」にこだわり、独特の風味を造り上げています。蔵人が一体となって丹念に仕上げる香住鶴の真心と伝統の味をどうぞご賞味ください。 こだわりの酒造り なぜ?米から日本酒(アルコール)ができるのか 酒造りに最も必要なのは、米の中心部にあるデンプン質で外層部にあるタンパク質や脂肪は酒の香味や色沢を劣化させる為、精米をして削り取ります。どれだけ精米するかは酒の種類によって異なります。発酵とは、酵母菌が糖分(ブドウ糖)を食べてアルコールと炭酸ガスを出すことですが、日本酒の原料である米には糖分が含まれていません。そこでこうじ菌が活躍します。 米こうじの役割 こうじ菌が米のデンプン質を糖分に変えます。その糖分を酵母菌が食べてアルコール発酵をするという事が、日本酒の発酵の仕組の中心部分です。 酒母(しゅぼ) 良い酒母(もと)とは 優良酵母を純粋に多数培養したもの 多量の乳酸を含有すること 純粋な優良酵母が大事なのは、優良な酒質につながる為である 生もと系酒母 生もと系酒母には、生もとと山廃もとがあります。この酒母は自然界の乳酸菌や微生物を利用して酵母を培養する日本酒の伝統的製法です。 生もとと山廃もとの違い 生もと造りには、米の溶解、糖化を促進する為にもとの仕込みに使用する米と米こうじを櫂で適宜破砕する山卸しと呼ばれる作業があります。 山廃もとには、山卸作業が無く(山卸作業を廃止して造ったもと、略して山廃もとという)水麹や荒櫂をもって代行簡易化して造ったもとです。 速醸系酒母 速醸系酒母とは、仕込み時に適量の乳酸を加え乳酸酸性とし酵母菌以外の菌類の繁殖を抑え、清酒酵母のみ純粋に培養する合理的な製造方法で作られた酒母です。その味は洗練され、短期間でさっと仕上げたもとからは華やかで香り高い日本酒が生まれます。 米・水 原料米...
高千穂酒造 高千穂 黒麹 麦 25度 1.8L麦焼酎

高千穂酒造 高千穂 黒麹 麦 25度 1.8L麦焼酎

¥1,969 JPY
高千穂酒造株式会社 日々の積み重ねによって、本当に旨い焼酎をつくることができます。酒の原料や酵母の性質は年によって違う上、酵母は生き物であるため、気温などその時々の環境によって動きや泡の沸き出し方まで違ってくるのです。そのようなサインを見のがさず、うまく管理しながら理想の味へと仕上げていく。長年の経験と、熟練した技が求められる繊細な作業です。主任技師である下中野は 20 年近く酒造りに携わってきたプロフェッショナル。今では貴重な存在である下中野のような専門技師が長年の味を守り続けています。 本格焼酎は、500 年もの歴史を誇る日本古来の蒸留酒。1 回しか蒸留を行わないため、原料の善し悪しが味を大きく左右します。そこで当社では原料や水にとことんこだわり、生産に関わる工程を厳しくチェック。中でも味を決定づける蒸留工程には特に気を使っています。 生産工程 技術開発・品質管理 市場動向をとらえ、消費者のニーズに合った製品を開発していくこと、そして品質管理を徹底して行うこと。これが、メーカーである私たちの使命だと考えています。当社では原料の選別から出荷までの各製造ラインに専門スタッフを配備し、検査と管理を徹底。既存商品の見直しや新規商品の投入も積極的に行っています。 商品開発にあたり全国各地の湧き水をサンプリングし、約 40 種類の天然水を比較検証。その結果、商品との相性が最も良かったのが白水村白川水源の天然水。阿蘇郡阿蘇山麓の奥深く、水の生まれる里として有名な白水村。地底深くよりこんこんと湧き出す水は限りなく清純で、全国名水百選にも数えられているほどの名水です。高千穂酒造では 1991 年より焼酎の割水としてこの水を使用し、まろやかな味わいと軽やかなのどこしを実現させています。