華やかなボトルデザインや熟成年数を競う昨今のウイスキー市場。
その中にあって、“何気ない日常に寄り添う1本”として、長年変わらず支持を受けているウイスキーがある。
それが、「サントリーホワイト」。
1929年に誕生し、日本のウイスキーの歴史そのものを体現するこの銘柄は、発売から95周年(2024年時点)を迎えました。
サントリーホワイトとは?
― “白札”の名で親しまれた、国産第1号ウイスキー
サントリーホワイトは、サントリーが製造・販売するブレンデッド・ウイスキーの一つ。
発売当初は商品名「サントリーウイスキー」だけでしたが、白いラベルを特徴としていたため、次第に人々から“白札”、あるいは“シロ”という愛称で親しまれるようになりました。
このウイスキーこそが、日本で初めての国産ウイスキー。
その物語は、サントリーの創業者・鳥井信治郎の果敢な挑戦から始まります。
鳥井信治郎の夢と賭け
― 洋酒文化のなかった日本で「本物のウイスキー」を
1907年、鳥井信治郎は「赤玉ポートワイン」を大ヒットさせ、酒造メーカーとしての基盤を築きました。
次なる目標として選んだのは、当時“舶来の高級品”とされていたウイスキーの国産化です。
しかし、日本に本格的なウイスキーの製造ノウハウは存在しません。
そこで彼が白羽の矢を立てたのが、スコットランドでスコッチ製法を学んできた若き技術者――竹鶴政孝。
(後にニッカウヰスキーを創業)
1923年、京都・山崎の地に日本初の本格蒸溜所を設立。
資金を集め、5年以上にわたる熟成期間を経て、ついに完成したのが「白札」、すなわちサントリーホワイトの前身でした。
壮大な失敗からの学び
― 市場が拒んだ「本物」の味
満を持して1929年に発売された「白札」――。
その味はスコッチに忠実なピート香が強く、日本人には馴染みのないものでした。
当時の消費者からは「クセが強すぎる」「飲みにくい」といった声が多く、返品が相次ぐという大失敗に終わってしまいます。
それでも鳥井は立ち止まらず、試行錯誤を重ね、1930年には廉価版「赤札(現サントリーレッド)」を発売。
しかし、これも結果は振るわず、販売中止となりました。
執念の改良と信頼の構築
― ピートからの脱却と“日本人の舌”への調整
鳥井は失敗に学び、「日本人が本当においしいと感じるウイスキー」とは何かを探り続けます。
やがて竹鶴に代わって息子の鳥井吉太郎が製造を担い、ブレンド比や熟成技術を地道に改善していきました。
1932年には「角瓶」、1935年には「特角」、そして1937年、ついに大成功となる「角瓶12年(現サントリー角瓶)」を発売。
この成功によって、白札のブレンドも見直され、ピート臭を抑えたシャープでキレのある味わいへと進化していきました。
「ホワイト」へ進化
― 昭和、平成、そして令和へ
1964年、壽屋から社名を「サントリー」に改めたのを機に、商品名も「サントリーホワイト」へと改称。
以降、時代が変わっても変わらぬスタイルで、庶民の晩酌やバーの定番として定着していきます。
現在では「トリス」「オールド」「角瓶」などと並ぶサントリーのロングセラー銘柄であり、日本のウイスキー文化の生き証人ともいえる存在です。
その味わいと魅力
― 軽やかでドライ、日常に寄り添うウイスキー
ホワイトの味わいは、まさに“普段着のウイスキー”。
香り:シャープで軽快、アルコール感がやや立つが爽やか。
味わい:甘さ控えめでドライ。穀物の旨味がストレートに広がる。
余韻:スッと切れる潔さ。ハイボールにすると心地よく引き立つ。
派手さや重厚感を求める人には物足りないかもしれませんが、逆にそれがこのウイスキーの美点です。
日本人が育てた、日本のためのウイスキー
「サントリーホワイト」は、“国産ウイスキーが日本人の味覚に合うものへと進化してきた歴史”そのもの。
世界が注目するジャパニーズウイスキーの出発点にして、鳥井信治郎と竹鶴政孝の挑戦、そして数々の失敗と執念の軌跡が詰まった1本。
気取らず、飾らず、それでいてしっかりとした芯のある味。
それがホワイトの魅力であり、日本の酒文化においてかけがえのない存在なのです。
まとめ:95年の時を超えて、なお輝く「白札」の魂
2024年で発売95周年を迎えるサントリーホワイト。
そのボトルには、単なるウイスキー以上の“物語”が詰まっています。
高級でも希少でもない、だけど確実に「ウイスキーの原点」と呼べる1本。
時代を超えて、今こそもう一度向き合いたい、“本当にすごい、普通のウイスキー”です🥃✨