Nishihira Sake Brewery Kana Brown Sugar 30% 1.8L Brown Sugar Shochu

¥2,728 JPY
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Categories: Sake/Shochu
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西平酒造

黒糖焼酎を通して地元奄美の多彩な魅力を発信

奄美大島の焼酎の原点

奄美大島の焼酎は、戦前までは沖縄の泡盛を伝承していました。西平家も以前は沖縄の首里に本家があり、明治18年ごろから泡盛造りを始めました。初代・西平守俊(もりとし)氏が、昭和2年奄美大島の東にある喜界島に渡り、分家を立てて泡盛を造り出したのが今の西平酒造の出発です。妻のトミ氏が初代杜氏となり、泡盛の酒造場として事業を開始しました。第二次世界大戦中の昭和20年、近くに軍の飛行場があったことから大空襲によって喜界島全体が惨憺たる被害を受け、酒造場も全壊してしまいました。そこで終戦の翌年、西平酒造は現在の奄美大島の名瀬に酒造場を再建。アメリカ軍政下の昭和27年には「巴麦酒株式会社」を設立し、本土との交易が途絶えた中でビールやサイダー、乳酸飲料など、島民の求める嗜好品の製造なども手掛けました。奄美群島の日本復帰と共に数年で姿を消した「トモエビール」は幻の地ビールとして語られています。

原料難から生まれた黒糖焼酎

戦後の奄美では深刻な食糧不足により主食確保が困難となり、ヒエ、アワなどを島の人々は食べていました。酒造用の原料も制約を受け、米だけを原料にする泡盛を造ることが困難になってきました。そこで、ヒエやアワ、蘇鉄の実まで使って焼酎を造ることが試みられました。そこで黒糖が原料のピンチヒッターとなったのです。黒糖がにわかに注目されたのは、実はそれ以前から一部の島民の間で、黒糖を原料に密かに焼酎が造られていたからという説があります。

伝統ある蔵から奄美の焼酎や歴史文化を発信

「酒蔵は酒を造るだけでなく、文化情報の発信地でもあるべきだと考えています。蔵の隣にある“くらふと村酒造ホール”は元は奄美伝統工業の“大島紬(おおしまつむぎ)”の工場でした。そのような歴史ある場所をなんとか活用出来ないかと考え、改装して現在では“加那”の原酒の貯蔵庫兼、音楽ホールとして活用しています。70名程度が収容でき、島唄やクラシック、津軽三味線など、様々なジャンルのアーティストがライブや録音を行っています。貯蔵酒に音楽を聞かせる蔵は他にもありますが、生演奏ならさらに良い酒質に生まれ変わると考えています。樫樽貯蔵では奄美で最も古い歴史を持っていて、技術面でも自信を持っています。」と語る、西平功社長。幾度とない困難を乗り越え酒文化を築き上げてきた西平家のゆるぎないスピリットで、黒糖焼酎を通して地元奄美の多彩な魅力を全国へ発信し続けます。

This aged sake has been stored for one year in tanks and one year in oak barrels, and when it is bottled and released on the market, its pale amber color shines beautifully, highlighting its presence.

raw materials Brown sugar/rice malt (domestic rice)
frequency 30 degrees
capacity 1.8L